くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

サプライズだよ、ハニー♪

 あれは十二月もなかばの、ジュネーブには珍しくまとまった雨が降った日の夕方のこと。歯医者の帰りみちに「寄りたい店がある」とRがいうので、わたしたちは中央駅近くのその店を訪ねたのだった。

「あ、ここだ」

 雨粒に叩かれぼぅっと青白く光るその店のショーウィンドウをのぞくと、原寸大(?)の〈骨盤〉が回転台の上でグルグルまわっているのがみえた。

「ごめんください。フィッティングに来たのですが」

 傘のしずくをはらいながら扉をあけ、店の奥にむかって声をかけると、

「お待ちしてましたわ」

 天井から吊るされた、これまた原寸大の〈背骨〉の向こうから声がした。

 ゆらん、と揺れる背骨ごしに顔をのぞかせたのは、ショートヘアに黒縁メガネ、くるぶしまであるシャツワンピースがすらりとした長身に似合っているマダム。

「じゃあ、早速。ここに横になってくださいな」

 ずらりとならぶベッドを指差して、マダムは言った。

「いや、ぼくじゃなくて」

 Rが意味深な笑みを浮かべて、視線を送ってくるのでギョッとする。

  まさか。

「クリスマスの、サプライズだよ。」

 ハニー♪  と、ひとり悦に入っているRに、わたしは返す言葉がみつからない。

「うれしいわ、ダーリン」

 そう笑顔で返せるほどの器量を、あいにくわたしは持ちあわせていない。

 クリスマスに、サプライズで、べッドのマットレス? もういちど、言う。クリスマスに、サプライズで、ベッドのマットレスを贈られた女性が地球上に何人いるというのだろうか? 

 わたしは知りたい。

 そう心の中でつぶやくうちにも、マダムによってマットレスにのせられてしまったわたしの脳裏に、わが家のサプライズ・ヒストリーが走馬灯のように浮かんでは消えていく。

 注ぐときに鳥がさえずる音がする「うぐいす徳利」(うぐいすお猪口付き)などは、いま思えばかわいいほう。Amazon Germanyで購入した、というGOGATSU NINGYOなるもの(しかし、似て非なるもの)を受けとったときのことは、前にもここで書いたことがある。そういえば、わたしが好きなアーティストと一文字ちがいの(全然別人の)画家の絵画をプレゼントされたこともあったっけ。

 が、しかし。

 いまさら、そんな思い出にひたっている場合ではない。わたしの使っているベッドはもともとはRの大伯父さんが使っていた古いものである。小柄だった昔の人のサイズで作られているので、マットレスも特注になる。そのため、すでに前金が入れてあるというのだ。

 ところでマットレスというのは、いわゆる形状記憶のもの。硬さや構造にいろいろちがいがあるそうで、体型や体重、寝かたなどによってぴったり合ったものでなければならず、人間工学や骨格などに詳しい専門のフィッターによるフィッティングが欠かせない。その専門家である、と胸をはるマダムは、わたしを異なるマットレスに次から次へと寝かせると、メガネの奥から鋭い視線を走らせた。

 さいごに寝かされたベッドの上には、先客がいた。それは原寸大の〈頸椎〉で、ごちゃごちゃ頭で考えるのに忙しいわたしをせせら笑うように、悠然と枕にもたれかかっていた。

 さて。

 このように何が何やらわからぬまま、言われるがまま。こんなに大きな買い物を(サイズ的にも値段的にも)こんなふうに簡単に決めてしまっていいものだろうか? と逡巡しつつもぼんやりした頭で「これにします」と決めたマットレス。

 そのマットレスが、先日わが家にやってきた。あの日。まな板の上の鯉、ならぬベッドの上、意識朦朧のなかで選んだマットレスが、大伯父さんのベッドのサイズに仕立てられた末、ついに配達されたのだ。

 白状しよう。

 わたしは今、マダムの目の確かさにうならされている。ときおり寝起きに感じていた首や肩の痛みも、寝返りのたび夜中に起きてしまうことも、このマットレスで寝るようになってからというもの、きれいさっぱりなくなってしまったからだ。サプライズは「成功」と言わざるをえない。クリスマスのときにはいったん「失敗」と記した(胸の内にある)サプライズ勝敗表を、三月もなかばになってわたしは訂正することになったのだ。

 そのことを伝えると、Rは満足気に微笑みを浮かべた。が、その笑顔に、次なる企みの片鱗が見えたような気がして、「サプライズにいきものだけはやめてね」と、わたしはあわてて釘をさした。日に日に強まる日差しに、そろそろGOGATSU NINGYOを出さなければ、と思う今日このごろ。サプライズのヒストリーは、わたしたちの日常を彩りながらつづく。

 

sababienne.hatenablog.com

*GOGATSU NINGYOをもらったときの記事です。もし、よろしければ♪