SABAすたいる

スイスのくらし、旅のエッセイ、日々のできごと、おもうこと。

ロンドン、お茶の時間

巨大なスカラベに、猫のミイラ。古代文字に、ギリシャのつぼ。トルコ石がびっしりちりばめられた魔除けのブローチ。

おもちゃ箱をひっくり返したような、古今東西のお宝の数々を、朝からぶっとおしで拝見していたせいか、頭の奥がズーンと重い。

どうやら、息を呑むような展示物の連続で、脳が酸欠に陥ってしまったようだ。

そとの空気がすいたくなって、お昼は博物館の外にでることにした。

f:id:sababienne:20180920051931j:plain

降るのか、降らないのか。降っているのか、いないのか。まったく判然としない、ロンドンの灰色の空をみあげるとティールームの看板が目にはいった。

舗道にだされたメニューに「Tea for One」の文字をみつける。どうやら、おひとり様用のアフタヌーンメニューがあるらしい。

ためらいながら、鈍く光るドアの把手をまわすと、ぎぃっと音をたてて白い扉が開いた。

本屋さん?

いっしゅん、きょとんとしてしまう。

扉の向こうには、棚に本がずらり。

お客も、店員も見当たらず、しーんと静まり返っている。

外にでて、入り口をたしかめようと、まわれ右すると「ティールームはこちら」の矢印が。

矢印にしたがって、アンティークのティーポットがならぶらせん階段を降りていくと、書店の地下がティールームになっているのだった。

f:id:sababienne:20180920052512j:plain

ジャムが挟まったスポンジケーキ、パステルカラーの砂糖でコーティングされたカップケーキ、ショートブレッドに、アップルクランブル。

飾らないホームメイドのお菓子がならぶカウンターの向こうから、そのお菓子以上にスィートな、あたたかい笑顔でむかえてくれた女性は、このティールームを併設する一階の書店の創業者ファミリーの一員であり、共同経営者のレスリーさんだ。

きけば、アジア、アフリカ、中東文化専門書の出版社として、その分野では名をはせるこの書店。

百年以上にわたって、代々ファミリーの手によって、経営が引き継がれてきた。

このティールームは、いまの世代のレスリーさんとその息子のティムさんとクリスさんが、数年前に開いたものなのだとか。

f:id:sababienne:20180920051923j:plain

おもてのバス通りと、博物館のけんそうがウソのようにしずかな店内。

ティールームの壁には、アジア風の花と鳥のもようの壁紙がはられていて、アンティークの家具や、ユニークなアートやオブジェがさりげなくディスプレイされている。

いっけんテイストもバラバラで、チグハグなものたちが、ここに集められたことで共鳴しあって、絶妙なハーモニーを奏でているようだった。

抜かりなくデザインされた商業用の店舗にはない、個人の家のようなくつろいだ空気が流れる店内では、ほどよいボリュームでおしゃべりする女性たちのグループや、観光のあいまに一息つく観光客が、おもいおもいの時をすごしているのだった。

f:id:sababienne:20180920052005j:plain

やがて運ばれてきたのは、ボーンチャイナのティーセット。

レスリーさんのイメージにぴったりの、そぼくな優しいトーンの花柄は、そろいではないところがかえって家庭的であたたかい。

ジャムとクロテッドクリームが、あらかじめこんもりと盛られているスコーンに、いっしゅんひるむ。

が、紅茶の渋みに合わせると、ふしぎと重くかんじない。

サンドイッチも、スイーツも、ぺろりといけてしまった。

ティーポットから、カップに紅茶をそそぐ音に耳をすませ、紅茶のかおりをゆっくり楽しむ。

それから、やっとひとくち、カップに口をつける。

こんな風に、ポットで紅茶を淹れるのは、久しぶりだった。

ふだんはどうしても、手軽なティーバッグにマグカップになってしまう。

こころに、時間に、ゆとりがあるから、優雅にポットでお茶なんて淹れていられるのだ。

そう思っていたけれど。

ニワトリが先か?たまごが先か?

ひと手間かけてポットでお茶を淹れることで、こころに、時間に、ゆとりが生まれるのだ。

そんなことに気づかされた、ロンドン、お茶の時間。

レスリーさんの笑顔に見送られ、ティールームを後にすると、おもてのバス通りは、あいかわらず降るんだか、降らないんだかの曇り空。

気づけば、頭の奥にかんじていた重さは、スーッと消えていたのだった。

 

**ロンドン、ティールームめぐり覚え書き**

f:id:sababienne:20180920052207j:plain

1. ヴィクトリア&アルバート美術館のティールーム、ウィリアム・モリスの部屋にて。

f:id:sababienne:20180920052058j:plain

2. ケンジントンパレスのティールームで、お子様用のサンドイッチにプチケーキを組合わせて「プチアフタヌーンティ」。

f:id:sababienne:20180920052223j:plain

3. さいごにどうしても王道なアフタヌーンティがしてみたくて、フォートナム&メイソンへ。

f:id:sababienne:20180920052213j:plain

ココで、その名も「Tea for one」なるティーセットを発見!

f:id:sababienne:20180920052248j:plain

ポットをはずすと、しあわせの青い鳥が枝にとまっている、という心憎い演出にコロリとやられてしまいました。

f:id:sababienne:20180920052307j:plain

コレで優雅にお茶を淹れて、日々こころにゆとりをもちたいとおもいます♩

HOME

一滴の雨も降らない、かんかん照りが二週間ほどつづき、湖の花火大会が終わるころになると、こんどは夕立ちとかみなりが毎夕やってくる。

雨は、ひと夏ぶんの熱をはらんだ地面や、屋根や、木々や、空気や、人々の日焼けした肌に降り注ぐ。

一日、また一日と、夕立ちは街全体を冷やしていく。

そして、いきなりすとんと秋になる。

ジュネーヴのみじかい夏の幕切れは、いつもいさぎよく、きっぱりやってくる。

f:id:sababienne:20180905183849j:plain

晩ごはん用のローズマリーを摘みに、ベランダにでてみると、西から生温かい風が吹きはじめたところだった。

空には鉛色の重たい雲がみるみるひろがって、あたりが暗くなってゆく。

傘はもってるはずだけど‥

朝、車をおいて歩いて出勤した夫が、ちょうど家にむかっているころだった。

チカチカッ。

蛍光灯みたいに、空がいっしゅん点滅する。

しばらくおくれて、遠くのほうで鳴ったかみなりが、窓ガラスをふるわせた。

ぽつん、そして、ぽつん。

まず一滴、二滴と、ベランダのコンクリートにシミをつくり、やがてそれはいっせいに落ちてくる。

幾千の雨粒が木々の葉っぱを打つ音で、つけていたテレビの音がかき消されるほどだった。

「ただいま」

玄関で声がして、ずぶ濡れの夫が帰ってきた。

手には、バス通りのケーキ屋さんのオレンジの箱が、口をきゅっと絞ったビニール袋にぴっちりくるまれてぶらさがっていて、ポタポタと床に水滴を落としていた。

あわててバスタオルを手渡してから、わたしはフライパンを火にかけ、脂ののったサバを、ニンニクとローズマリーでソテーする。

それからグリルで、エリンギをさいて、パプリカと素焼きにする。

ふと窓のそとに目をやると、雨はすっかりあがっていた。

さっきのざぁざぁ降りがうそのように静まりかえって、聞こえてくるのは、テレビの音と、ぱちぱちとサバの焼けるフライパンの音だけ。

雨上がりの森のにおいに、ローズマリーがまじって、鼻の奥がツンとする。

ふいに、子供のころ好きだった本の、しあわせな「帰宅」の場面が思いだされた。

チム・ラビットのぼうけん (単行本図書)

チム・ラビットのぼうけん (単行本図書)

 

それは「チムラビットのぼうけん」という本で、好奇心旺盛な子ウサギのチムラビットが、野原に遊びにでかけるのだけど、カミナリや、ヒョウや、犬や、いばらの道で、さんざんこわいおもいをして、命からがら家に逃げ帰ってくるシーンだ。

チムラビットが、ぶるぶるしながら家に帰ると、そこにはお母さんがいて、たしかパンケーキを焼いている。

そしてお母さんは、だいじょうぶよ、とこわがるチムラビットを、やさしくだきしめてくれるのだ。

やさしいお母さんが、待っている家!

あたたかくて、安全で、しかもパンケーキの甘い香りのただよう家!

カギっ子だったわたしにとって、それはちょっとうらやましくもあり、また、「パンケーキ」なる未知のお菓子にそそられる部分もあり。

心からほっとするチムラビットといっしょに、この「帰宅」のしあわせを味わいたくて、なんどもなんども繰り返し読んだものだった。

20121122_Thanksgiving_012.jpg

考えてみれば、忘れ去られていくものごとが圧倒的多数であるなかで、こんなふうに何十年たっても自分のなかに残っているモノがある、ということは、摩訶不思議だ。

と同時に、なんてステキなことだろうとおもう。

本だったり、映画だったり、音楽だったり、絵だったり、味だったり、音だったり、匂いだったり、人との出会いだったり。

それはもういろんなかたちをしていて、ふだんはすっかり忘れているのだけど、スクラップブックみたいに、意識のどこかにペタペタと貼りつけられていて、ときどきふっとした瞬間に顔をだすのだ。

とくべつ何かに役立つわけではないけれども、それはほんのすこしこころ豊かにしてくれる。

自分を見失いそうになっているときにも、それはそっと寄り添ってくれる。

いままで積み重ねてきたことの重みを、それは教えてくれる。

そして、どんなときもそこにたちかえれば大丈夫、とおもえる「拠りどころ」に、そのスクラップブックはある。

そこに帰れば大丈夫、とおもえる場所があるということ。

それは、なんと心強いことだろう!

そとで散々な目にあって、家に帰ると、サバの焼ける匂いがして、やさしい妻が待っていて、、

と、わが夫が心からホッとしたかどうかは、さだかではない。

ケーキ屋さんのオレンジの箱をあけると、ミルフィーユがふたつ、仲良くならんでいた。

もうすぐ、読書の秋がやってくる。

夏の終わりの、選手交代。

だしてあったクリーニングをとりにいった。

入り口で声をかけるとしばらくして、パステルカラーのシャツの森から顔をのぞかせたのは、いつものなじみの店員さんだった。

あ。

選手交代。

彼女のトースト色に日焼けした顔は、夏がおわり、街が「通常オペレーション」にもどったことを、わたしに教えてくれた。

ヨーロッパの街がおおかたそうであるように、住人たちがいっせいにバカンスにでかけてしまう夏のジュネーブは、いつもとちがう顔になる。

道行くひとが、地元のひとから、中東の避暑客にとってかわられるだけではない。

パン屋さん、レストランのウェイトレス、アパートの管理人さん。

なじみの顔がいっせいに消え、かわりに「夏休み要員」が投入される。

バスの本数もガクンと減り、営業時間を短縮する店や、なかには夏のあいだまるまる閉店してしまう店もある。

街ぜんたいが、気持ちいいくらいいさぎよく「夏休みオペレーション」に切りかわる。

そのいさぎよいことといったら、いつだったか、なじみのレストランでいつもの料理を注文したらぜんぜん味がちがうので、確認すると厨房スタッフがまるごと夏休み要員だったことも。。

二週間ほど前、クリーニングを出しにきたとき受付けてくれた女性も、その「夏休み要員」であった。

続きを読む