フェミナ(FÉMINA)という、青い箱に入ったチョコレートがある。スイスのチョコレートブランド・カイエ(CAILLER)のもので、ちょっとずつちがう味のプラリネが詰めあわされている。専門店でしか買えないような、ひと粒がショートケーキぐらいするチョコレートに…
義兄のクリストフが、ランチに仔牛のパイ包みを焼いてくれた。切りわけるクリストフのがっしり肉厚な手をみていて思いだしたのは「ホフマンの手」だ。 フェリックス・ホフマンは、わたしが幼いころボロボロになるまで読んだ(かずかずの)絵本の作者である。…
朝、起きてみると、外は一面の雪。アパートの庭も、川沿いの木々の枝も、向こう岸の建物の屋根も。街じゅうがふわりと真っ白な綿布団をかぶっていた。 まだうす暗いアパートの広場には、だれの足跡もついていない。ふわり、ふわり。降るというよりは、宙を舞…
生まれてはじめて、昆布とかつお節から出汁をひいた。なんて、新年早々、母がきいたら卒倒するかもしれない衝撃的な告白ではあるけれど、事実なのだから仕方がない。きっかけは、知り合いのドイツ人・マルチンさん。秋に北海道に行くといったら「昆布とかつ…
この旅に出る少し前に、一冊の絵本が届いた。ファン兄弟の『リジーと雲』という絵本で、二ヶ月ほど前に書店に注文していたものだ。在庫がある、と言っておきながら発送まで二ヶ月、というのはいかがなものかと思わないでもないけれど、急ぐものでもなかった…
久しぶりに「ひとり旅(らしきもの)」をした。らしきもの、というのは、現地の友だちを訪ねたので厳密にいうと「ひとり旅」とはいえないからで、とはいえ往復も宿泊も、旅のおよそ半分ぐらいは一人だったからだ。 ひとり旅には、それならでは、の良さがある…
暦の上ではまだ春のころ。初夏を思わせる陽気に誘われて窓を開け放していると、階下のテラスから食器のふれあう音と静かにおしゃべりする声とが、パラパラと部屋に忍びこんできた。お客さまかしら、とのぞいてみると、特等席に丸くなっていたのは、あの猫。 …
朝方、かちゃり、とドアの閉まる音がして目が覚めた。隣に目をやると、ベッドはもぬけの殻だった。遮光カーテンのすきまからは細くひとすじだけ、朝の光が射しこんでいる。ぼんやりした頭で考えるうち、Rが昨夜「朝、パン屋に行く」といっていたのを思い出し…
駐車場をぬけると、車道にでた。ごぉーっとうなるようにエンジン音をひびかせ、砂を積んだダンプカーが、リュックを背に歩くわたしたちを追い抜いてゆく。休業して久しい様子の不動産屋の軒先に、朽ちかけた木のベンチをみつけ、わたしたちはサンドイッチを…
ジュラの森に住む友人の家で、久しぶりにPさんに会った。 「夏はどこで過ごすの?」 わたしが聞くと、 「この夏は、大学生だよ」 とPさん。大学付属のフランス語サマーコースを受講するそうだ。Pさんはジュネーブ暮らしも長く、フランス語が話せないわけじゃ…
友人のCさんが、女どうしの乾杯にピッタリなワインをもってアペロに来てくれた。猫のイラストがかわいいこのロゼワインの名前は、« La nuit, tous les chats sont gris »。 《夜はどの猫も灰色》というフランスのことわざで、意味は「夜は暗くてよく見えない…
フォーブル・サントノーレ通り14の16番地。たしかこの辺りのはずなのだけれど。看板をひとつひとつ確認しながらきたはずなのに、おめあての帽子屋はなかなかみつからない。これはもう、通りすごしたにちがいない。そう確信がもてるところまできてやっとわた…
キィーキィー、と聞き覚えのある音がして空を見上げれば、ツバメが縦横無尽に飛び回っていた。満開だとおもっていたマロニエの花はあっというまに盛りがすぎて、街路樹はいっそう色濃くみどりの葉を繁らせている。軒先にかけられたジョウビタキの巣も、ヒナ…
夕方。ピンポーンとドアベルが鳴ったのでドアを開けると、宅配便の配達だった。えんじ色の制服に野球帽をかぶった配達員は、筋肉隆々、思わず見上げてしまうほどの大男。ひょいと小脇に抱えているのは、彼が抱えているから小さく軽そうに見えるけれど、六本…
マリメッコのデザイナー、マイヤ・イソラ〈Maija Isola〉のドキュメンタリー映画がすこし前に日本で公開された。それに合わせてひらかれたトークイベントに参加したのだが、この映画の監督をつとめたレーナ・キルぺライネン<Leena Kilpeläinen>さんが、とてもおもしろかった。 </leena>…
「Jardin de nuit (夜の庭)」という題名の絵を額装にだしていたのが、出来上がってきた。これはわたしが好きなスイス人イラストレーター・アルベルティーヌさんの絵で、昨年のクリスマスにRがプレゼントしてくれたものだ。 アルベルティーヌ さんは詩的なス…
狼山パン店は、Rの古い知り合いがはじめたパン屋で、いまは息子さんが店主をつとめている。狼山というのは、Wolfisbergというその一家の苗字なのだ。川向こうにあるこのパン屋には、だから、ではなく、パンが美味しいのでときどき歩いて買いに行く。併設のカ…
夕暮れのバス停で、通りがかりのおじさんに笑顔であいさつされた。反射的にこちらも笑顔であいさつを返したのだけれど、はて、誰だっけ? うしろ姿を見送るも心当たりがない。住宅街や公共の場で居合わせた人どうし、見知らぬ人とあいさつを交わすこと自体は…
2月9日(木)晴れ 6日間の滞在中、朝食のテーブルを担当してくれたウェイターさんが、今朝は注文をとる代わりに「紅茶ですね」とウィンクをよこした。毎朝紅茶を頼んでいたのを、ついに覚えてくれたのだ。最終日の朝というのが皮肉だけど、ちょっとうれしい…
2月8日(水)晴れ 村のカフェでアメリカン・コーヒーを注文すると、エスプレッソと(薄める用の)お湯がでてきた。ふざけているわけでもケンカを売っているわけでもなく、イタリアでアメリカン・コーヒーといえばこういうものらしい。アメリカ生活が長かった…
2月7日(火)晴れ 肋骨にヒビが入ったかもしれない。脇側を打ったのに、痛むのが胸側なのが不気味だ。あんまり詳細は言いたくないのだが、リフト乗り場で横倒しに転んで、転んだところに金属製のレールがあったのだ。息をするたび、痛みとともにジャリジャリ…
2月6日(月)晴れ 客室係いわく、客室の蛇口からでてくる水は全てスパとおなじ鉱泉水のため「飲んでよし、浸かってよし」らしい。ようするにエビアンやサンペレグレノが、蛇口をひねれば出てくるようなもので、ミネラルウォーターをペットボトルで買う必要も…
2月5日(日)晴れ 朝、窓のそとを眺めてみると、あらためてコーニェが谷あいの村なのだなとおもう。山と山のゆるやかな稜線が交わる谷間の雪原には、もうすでにクロスカントリーをする人やそりで遊ぶ子どもたちが、散らばっている。 朝食のビュッフェは、ケ…
2月4日(土)晴れ トンネルを抜けると、モンブランの表示がモンテビアンコに変わる。フランスからイタリアに抜けたのだ。スイス、フランス、イタリアと二つも国境を越えてきたのに、コーニェまでは、二時間半の道のりだった。 コーニェ(Cogne)は、イタリア…
二月の或る日、サンジャン通りを歩く。 いつものアパートの庭に、今年もまたスノウドロップが咲いていた。ぽっちりと小さく、ひっそり咲く白い花。桜のような華やかさも、プリムローズやクロッカスの賑やかさもない。にもかかわらず、はっと目を惹かれてしま…
花もつ男の人が、好きだ。いや、ちがうな。花もつ男の人の姿を見るのが、好きなのだ。誰かを喜ばそうとしている人の姿をみるのが好き、と言いかえてもいい。 そういう意味では、もっているモノはケーキでもおもちゃでもいいし、男の人じゃなくて女の人だって…
駅にいく途中、信号まちをしていると、ふいに「色」が眼にとびこんできて眼に染みた。年若い男女の二人組が、わたしの前に立ち止まったのだ。 群青色のパンツに、明るい空色のジャケットを合わせた男の子。女の子のほうはライム色のコートの首元に、エメラル…
再婚して十年。合わない部分も多々ある中、これだけは合っていて良かったと思うのは、食の好みだ。中でも二人そろって好きなのは、タイ料理。パッタイなどの定番に加え、タイに駐在していたことのある夫は、地方の郷土料理にもくわしい。ちょうどその日も「…
こんにちは。 暑い日がつづきますが、いかがおすごしでしょうか? わたしはいま、インク壺の淵に佇んでいます。 「インク沼」というものの底知れぬ恐ろしさは「はまったら最後、ぬけだせない」。つねづねそう聞かされてきました。ですから去年、万年筆を手に…
朝。いつもは静かなローヌの岸辺に、レジャーシートのお花畑ができていた。こんな朝早くに、なにごとだろう? あわててメガネをかけてみると、シートの上には何やらごちゃごちゃ品物がならべてある。町内のヴィッド・グルニエ(vide-grenier)が、開かれてい…