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SABAすたいる

スイスのくらし、旅のエッセイ、日々のできごと、おもうこと。

「ドキドキしちゃう」岡本太郎の書。いいヒトになれなくて自己嫌悪な夜に。

小学生の甥っ子たちが、新年の抱負をかきぞめに書いたというので、なんと書いたのか聞いてみました。

「あきらめない」(甥っ子兄・小五)

「いっぱいたべる」(甥っ子弟・小一)

「思いやる」(甥っ子たちの母、つまりわが妹)

けっきょく普段できてないことなんだよねー(弟くんを除く)と苦笑いの妹。書き初めって、けっこう性格がでて面白いですよね。

わたしはスイスでお正月をむかえたので、書き初めももちろんしなかったのですが、甥っ子たちに触発されてひとつ書いてみました。

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*す、すみません。。習字は大の苦手です。墨も筆も紙もないので、水彩絵の具と画用紙にて。

妹の言うことはまさにその通り。筆をにぎってふと頭にうかんだのがコレでした。じつはその前日、とあることでイッパツ怒りをぶちかましたばかりだったのです。

わたしだってできることなら、いつでも機嫌よく感じよくいたい、という思いは人並みに、いやひと一倍あるつもりです。

アンガーマネジメントとか自己啓発の本を読んでみたり、禅僧のありがたいお言葉や格言をメモしたり。

これからはこういう心がまえで「怒りという感情」をコントロールしよう。

その時にはそうおもうのです。

でも、いざその場になるとせっかくの学びのかいなく、気づけばまた怒ってる。そして、怒ったあとでちょっと自己嫌悪におちいるというのがお決まりのコースです。

まさにこの書き初めを書いた日は、そんなプチ自己嫌悪の真っ只中にあったのでした。

甥っ子たちとのスカイプを切ってから、手にとったのが、岡本太郎の書「ドキドキしちゃう」です。タイトルのとおり、岡本太郎さんがいろんな漢字を書としてしたためています。もちろん、岡本太郎さんの書というからには普通の書ではありません。

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遊ぶ字

そもそも字と絵の表現は一体のものだった。

象形文字のいわれや変遷などをたどらなくとも、

無心に楽しんで字をかいていると自然に絵になってしまう。

遊ぶ字だ。

そこに生きるよろこびがふくれあがってくる。まさに芸術。

岡本太郎はそういって、数多くの書をのこした。

「ドキドキしちゃう 岡本太郎の書」(小学館)”遊ぶ字”より 

色、愛、悲、驚、終、そしてもちろん爆発も。

それぞれの「太郎象形文字」は、生き物のように本から飛び出しそうなくらい力強い。

そして添えられている太郎さんのことばとともに、既成概念を解き放ってくれる。

ちょっと自己嫌悪におちいったとき、決まって手にとりたくなる一冊なのです。

なかでも好きなのは「花」。

(前略)

いかにも喜ばれたい好かれたいというポーズが

どうもうれしくないのだ。

(中略)

だから鑑賞する方の、作られたきれいさに

妥協して安心してしまう精神もきらいだ。

「ドキドキしちゃう 岡本太郎の書」(小学館)”花”より 

 わたし自身は、いけばなをやっていることもあって花は好き。でも太郎さんは「花は美しくない」とおっしゃる。その理由がとってもおもしろい。

それから「反」。

徹底的な対決こそほんとうの協力なのだ。

同調・妥協は何も生み出さないし、不潔である。

(中略)

悪口大いに結構。

猛烈な非難と絶賛と、相反する評価が渦巻く方が

本当だと信じている。

(後略)

「ドキドキしちゃう 岡本太郎の書」(小学館)”反”より 

衝突や反目はできるだけ避けたい。そのほうがみんな心地よくいられるし、ことを荒立てずまるくおさめるのが一番。安っぽい共感や迎合で、ひとは「いいヒト」を演じたがるけれど「そんなの意味がない!」と太郎さんが一蹴してくれるような気がするのです。

おまえも書いてみろよ。

誰だって字は書くだろ?

下手だっていいんだ。

無心で遊べばいいんだよ。

紙の上に自分をひらいてごらん。

そんな声が聞こえてきそうだ。

みんなで太郎の挑発に乗ってやろうじゃないか。

「ドキドキしちゃう 岡本太郎の書」(小学館)”遊ぶ字”より 

わたしの書き初め。

まだまだ自分をひらくには至っておりませんね。。

2017年。もっともっと「爆発」しなくては!

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ようこそ岡本太郎記念館へ!

*「ドキドキしちゃう」と出会ったのは、青山にある岡本太郎記念館。この太陽のようにいつもそばにいて、行く先を照らしてくれるたいせつな一冊です。