SABAすたいる

スイスのくらし、旅のエッセイ、日々のできごと、おもうこと。

わが輩は犬ではない?不自由さのアドバンテージ。

いまは電子書籍があるから、海外で日本の本を読むのも昔ほど大変じゃない。テレビ番組だって無料動画サイトでほぼ同日に観られるし、電話もメールもチャットもインターネットのおかげで無料。

ひと昔前にくらべたらホームシックにかかる人は格段に減っているんじゃないかな?と思うのだけど、それでも国内とくらべれば圧倒的に不自由なことに変わりはない。

とくに電子書籍。

海外からの購入をブロックしているところもあるし、作品がほとんど電子化されていない作家さんもけっこういる。好きな作家さんにかぎってというのがポイントで、わたしの場合、江國香織さんがそのうちのひとり。

新刊の「なかなか暮れない夏の夕暮れ」も見たところ紙の本しかないみたい。

なかなか暮れない夏の夕暮れ

あえて紙の本で読みたい!と思わせるすてきな装丁だし、「頁をめくる官能」とかいわれた日にはぜひとも紙のページをゆっくりめくりながら読みたいものだけど♪

www.asahi.com

紙の本となると、日本に帰るときまで待つしかないのがかなしい。。

でも。

こんな不自由さのいっぽうで、その副産物みたいなものもある。

たとえば、スローな読書の楽しみをとりもどせたこと。

次々に新刊を手に取ることができないから同じ本を何度も読みかえす。本が貴重だった時代やこどもの頃そうしていたように。。するとそのたび何かしら発見があるし、何度目かにしてはじめて味わえるものがある。ファストファッション的に消費する読書に毒された身にとってこれはもう、デトックスされるようなここちよさなのだ。

そんなふうにくりかえし読んでいる本のひとつに「ウエハースの椅子」(江國香織)がある。この小説には主人公の心情を映す象徴的なイメージとして「車の中でじっと待つ犬」とその対照として「気まぐれにしか姿をみせない猫」がでてくる。

このあいだ何度目かに読み終わったときはじめて、犬的な部分にどっぷり感情移入している自分を発見したのはとっても意外だった。犬好きか猫好きかでいえば、だんぜん犬。でも、自分の性格は猫的だとずーっと思ってきたので。

そう。

先日も「犬っぽい性格か、猫っぽい性格か」という話になって「猫です」と即答したばかりなのだ。

「でも犬好きだよね?」その人がいうので「犬好きだからといって、性格が犬的とはかぎらないでしょ?」そう言おうとしたのだけど。なにしろ英語力が追いつかず。

 ”I like dogs, but I am not a dog.”

(わたしは犬が好きである、しかし犬ではない)

かき集めた文法と語彙を駆使してでてきたのがコレ。中一レベル。うぅ、情けない。。

「シェイクスピアの箴言みたいね!」

と笑われた。

その調子で短い詩とか書いてみれば?そのそぎおとされた語彙のミニマリズム感、ウケるかもよ。そう言ってくれた彼女は、企業の広報ウーマン。コミュニケーションのプロのことばに、おもわず乗せられそうになったのだった。

でも真面目な話、母国語じゃない言語で小説を書いてその不自由さゆえに成功した例は結構あるみたい。かの村上春樹さんも、文体を獲得するのに英語で書いてみたことがあるそうだし。

自由であることが必ずしもアドバンテージになるとはかぎらない。

不自由であることのアドバンテージって、世の中けっこうあるのかもしれません♪

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*チューリッヒ在住のジャンゴ。義姉が飼っている猫。モナリザちゃんという緑の瞳をもつ妖艶な野良猫とときどきぷいっとおでかけします。