日本には、KINTSUGIというすばらしい習慣があるのですね。
そういってわざわざ国際電話をくれたのは、シドニーに住むオーストラリア人のNさんである。
KINTSUGI?
さびついた脳内ローマ字日本語変換は、なかなか変換候補をみつけてくれない。
あ。
金継ぎ、か。
やっと漢字がでてきたはいいけれど、そもそもなじみのある言葉ではないのである。
おぼろげな記憶をひっぱりだし、受けこたえるのがせいいっぱいで、このときは、Nさんのほとばしる感動を、きちんと受けとめるにはいたらなかったようにおもう。
けれど、おもえばこの一本の電話が、わたしの金継ぎをめぐる旅(のようなもの)のプロローグだったのである。
それからひと月ほどがたったある日。
ところはかわって、石川県・山中温泉の温泉宿。
カニ漁が解禁になったその夜、わたしは、いっぽんのカニ脚と格闘していた。
「一年でわずか一週間、この時期にしかつかわない、ぜいたくなお椀なんです」
器に目もくれず、カニをむさぼるさまを、みかねた仲居さんがいう。
いわれてみれば、なるほど。手にした黒塗りの漆のお椀には、可憐なもみじの蒔絵がほどこされているのだった。
器をたのしむ余裕もなかったわが身を恥じつつ、あらためてお椀を両手でつつんでみる。
くちびるにしっとり吸い付くような漆の触感。
ふわっと鼻をくすぐる柚子の香り。
白みそ仕立てのやさしい甘みが舌にひろがる。
空になったお椀を折敷にもどしてみると、お椀の底にも一枚、かくれていたもみじが顔をだす、というささやかなサプライズがまっていて、おもわず笑みがこぼれた。
器もまたごちそうなり、なのである。
*昼間あるいた鶴仙峡のもみじ。
つづいて運ばれてきたのは香箱蟹。
うつわは、繊細な色づかいの九谷焼のお皿だ。
やさしい色味と、上品な艶。
そのひかえめな存在感は、さんざんうつわ屋めぐりをして目にした、どの器にもなかったもので、目をうばわれた。
きけば、有名な作家さんの一点ものなのだという。
そんな貴重なものをこんな風に気安くつかってよいものかと、恐縮する私たちに、
「器は生かしてこそ、ですから」
仲居さんはちょっと誇らしげにそういって、お皿を指さした。
「そのぶん、どうしても割れたり、欠けたりするんですけど」
よくみると、お皿のフチのところどころに、ひび割れたような跡があって、細かな金色の筋がチラチラと光を反射している。
「金を継いで、たいせつに、なおしなおし、つかってます」
Nさんからの電話で、不意に耳にした金継ぎ。
その金継ぎの本拠地に、私たちはしらずしらず来ていたのだった。
金継ぎ、とは、陶磁器のヒビや割れ、欠けをうるしでかためて、金粉で装飾する修復法。
山中漆器と金沢の金箔生産の技術が集積するこの地には、金継ぎの工房がたくさんある。
ひかえめにきらめく小さな金色の光。
それは、なおし、なおし、大切に使われてきた愛情の証。
旅館と客と器とが、ともに刻んできた歴史なのだ。
お皿が高価な一点モノだから、ということではなく、そのことがこのお皿を唯一無二のものにしている。
それが、この静かなる存在感のヒミツだったのだ。
なんだか、いいなぁとおもった。
そしてふと、腑に落ちるものをかんじた。
そうか!
Nさんが、あんなにも感動していたのは、コレかもしれない。
あの時は、技術がすばらしい!と言っているのだとばかり思っていたけれど、こんな風にものを慈しむ価値観に、Nさんは心うたれていたにちがいない。
そう思うと、なんだかいてもたってもいられなくなった。
帰ったら、Nさんに電話しなければ。
KINTSUGIについて、もういちど語り直さなければ。
こんどは、きっとNさんと感動を分かち合えるにちがいない。
つかえていたものがとれて、急にすっきりしたわたしは、ちびちび温存していた香箱蟹の内子を、おもいきって山盛りすくって口にふくんだ。
そして、うすはりのグラスにきりりと冷えた日本酒を、キュッとひと息にあけたのだった。
と、この時点でもう、わたしはすっかり油断していたのだけれど、この話にはまだ、ささやかなエピローグが待っていて。。
それは、二週間の日本滞在を終えて、スイスに帰る飛行機の中でのこと。
わたしは、暇つぶしにてきとうに選んだ、軽めのハリウッド映画を観ていたのだけれど、こんなセリフがあった。
「しあわせのオマケを、みのがさないで」
日本語版では「しあわせのオマケ」と訳されているCollateral Beautyは、直訳するとCollateral(付随してくる)Beauty(美、すばらしさ)。
ウィル・スミス演じる娘を亡くした失意の広告マンをはじめ、さまざまな人生の困難、絶望、焦り、悲しみに直面するひとびとへのメッセージであり、この映画の原題にもなっている。
そう、お皿だけじゃないのだ。
人生だってわれたり、欠けたり、ひびが入ったり。
しかしその先にきらめくもの、それこそが人生のすばらしさなのだ、と映画は言う。
人もまた、金を継いで生きていくのだ。
ひびも、欠けも、金を継いで生きていくことができたなら、順風満帆で、まっさらな人生よりも、ずっとずっと味わいぶかいものになるだろう。
エンドロールをみつめながら、ふと思った。
金を継いで生きる人。
それは、ほかならぬNさん、その人なのだった。
*翌朝はこばれてきたコーヒーカップにも金継ぎ。
*「器は生かしてこそ」のつまった食器棚。まるごとウチに持って帰りたい。。