SABAすたいる

スイスのくらし、旅のエッセイ、日々のできごと、おもうこと。

クスクスを、ボナペティ。

レラは、わたしの「クスクスの先生」だ。

はじめて会ったとき。

レラがモロッコ出身ときいて、わたしが「クスクスが大好きだ」と猛アピールしたのが、そもそものことのはじまりだ。

ほどなくして、クスクス鍋と、オリーブの木鉢と、おタマと、スパイスをかついで、ウチにきてくれたレラ。

そのレシピと人がらに、すっかりハートをわしづかみにされてしまったわたしが、勝手に弟子入り宣言するかっこうで、結ばれた「師匠と弟子」のちぎりなのである。

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不定期開講の「レラのクスクス学校」。

生徒はわたしひとりなのだけど、試食係のともだちを集めては、いっしょにクスクスをつくるのを、わたしはとても楽しみにしている。

基本のレシピは、丸どりと羊肉、香味野菜、スパイスをオリーブ油でソテーしたら、トマトと野菜の水分でコトコト煮込むだけ。

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クスクスは、専用の蒸し器で蒸して、レーズンとシナモンをスープで煮詰めた「甘いソース」と、青唐辛子を煮詰めた「辛いソース」を好みでかけて食べる。

丸どりを途中でとりだして、オーブンでこんがり焼き目をつけるのがレラ流だ。

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レラのクスクスは、とっても体にやさしい。 

たっぷりの野菜に、油は少量のオリーブオイルのみ。

ターメリック、ジンジャー、カルダモンなどのスパイスも、辛いというよりは、薬膳のような、漢方のような。

からだに効きそうな味(じっさい、効きめがあるらしい)。

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「じぶん流のレシピを見つけてほしいな」

レラは、いう。

クスクスのレシピに正解はない。国によってレシピがちがうだけではなく、各家庭、人それぞれのレシピがいくとおりもあるのだから、と。

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クスクスの蒸しあがる匂いが、キッチンにたちこめてくると、レラがうっとりため息をつく。

「あぁ、金曜日のにおいがしてきたわ」

モロッコでは、毎週金曜日に家族があつまってクスクスを食べる。

だから金曜日の午後になると、街じゅうがクスクスのにおいにつつまれる。

レラにとって、クスクスのにおいは、家族の記憶とむすびつくノスタルジィのスイッチなのだ。

ところで、そのにおいがどのくらいか?というと、ちょうどその時間帯のフライトでモロッコに到着すると「飛行機をおりた瞬間、そのにおいに気づくほど」だというのだから、ちょっとすごい。

その話をきいて、わたしの頭にうかんだ光景は「別府の湯けむり」だ。

(もうすこしマシなたとえはないものか?われながら思うわけなのだけど。コスタ・デル・ソルに行けば「熱海」、モンサンミッシェルをみれば「江ノ島」などといって、同行者を閉口させるようなセンスしか、あいにくもちあわせがなく。。。)

ともあれ。

「クスクスの湯けむり」が、街じゅうにたちのぼる光景。

そのひとつひとつの湯けむりをたどっていくと、その先には家族の食卓がある。

なんて想像するだけで、なんだかとても平和で、幸福な気分にさせられてしまうのだった。

いつかモロッコに行くときは、金曜日の飛行機にしよう♩

そう、おもっている。

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「ボナペティ!」

レラの合図で、テーブルについた全員が、口々にそういいあうと、試食タイムがはじまった。

Bon Appetit:Bon(よい)+Appetit(食欲)で「よいお食事を」、「どうぞ召し上がれ」などの意。食事をはじめる際、食事をするひとにむかってかける言葉。

こんな風に、みんなで食事をはじめるときに、おたがいかけあう「ボナペティ」。

レストランでウェイターが料理を運んできて「ボナペティ」。

いろんな「ボナペティ」があるけれど、なかでもいいなぁとおもうのが、

  • ひとり旅の飛行機の機内食で、隣席の青年が「ボナペティ!」
  • 公園でお弁当をひろげれば、おなじベンチに腰掛けていたおじいちゃんが「ボナペティ!」
  • カフェのテラス席では、目があっただけの通りがかりのマダムが「ボナペティ!」

見ず知らずの人がかけてくれる「ボナペティ」だ。

みんながみんな、というわけではないけれど、けっこうな確率で声をかけてくれる。

日本では「召し上がれ」とか「よいお食事を」とか、知らない人に声をかける習慣がないから、さいしょはびっくりしてしまった。

われわれも「いただきます」とはいうけれど、あれは、食べ物にたいしてだったり、食べ物を供してくれた人にたいしてだったり、はたまた食事をいただけることそのこと自体にたいしての感謝のきもちを「食べる人が」表明することばだ。

「食べる人に」たいすることばではない、という意味で、じつはボナペティとは意味も用法もちがう。

ボナペティ。

ただの決まり文句、とはわかっていても、ふっとその場がなごんで、おたがい笑顔になれて、なんだかうれしくなってしまう魔法のことばだとおもう。

ところで、翌日のことである。

朝から冷戦状態にあった夫が、お昼はいらないというので、のこりもののクスクスをチンしてひとりテーブルについたわたし。

「いただきます」

ひとり食事をはじめようとすると、

「イタダキマス」

リビングから、こだまがかえってきた。

「?」

こだまの主は、リビングでテレビを観ているはずの夫である。

はからずも、夫が「いただきます」の意味と用法を理解していないことにきづく、日曜のひるさがり。

冷戦中だったけれども、ちょっと笑えた。