くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

あこがれの、熟練シュフ。

朝ごはんに、黄桃をきって食べた。

ちょっと甘みがとおかったけれど、シャキッとした歯ごたえとどうじに、甘酸っぱさが口いっぱいにひろがって、目が覚めるようだった。

夏。

スーパーマーケットに買い物にでかけるのが、ちょっと楽しくなる。

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白いの、黄色いの、丸いの、平べったいの。

おどろくほどいろんな種類がある桃。

あんず、プラム、さくらんぼ、ブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリー、メロンにスイカ。

南のほうから北上してきた、旬の夏のくだものが勢ぞろいして、冬のあいだはりんごか、バナナか、みかんに占領されていた地味な売り場が、いっきにはなやぐ。

はかり売りの山から、ひとつ、ふたつ、品定めして袋にとり、重さを量って値札をはる。

このチマチマした買い方をみて、

「袋と値札のほうが高くつくんじゃない?」

いつだったか、アメリカ人の知り合いは、目を丸くしたものだ。

なにごともXLなアメリカ人のいうことはさておき。。

わたしはといえば、果物をキロ単位で買っていくひとをみると、目をみはってしまう。

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買っていくのは、たいてい「熟練主婦」といった風情の貫禄マダムたち。

生で食べるのではない。

ジャムや、タルトや、果実酒をつくるのだ。

なにしろ、年齢的にはりっぱな「熟練主婦」なのだけれども、数年前まで一人暮らしの「独身サラリーマン」みたいな生活を送っていたわたしである。

こういう「主婦の底ヂカラ」みたいなものに、めっぽう弱い。

ケーキ、ジャム、果実酒、マヨネーズ、梅干し、みそ。

わが辞書には「店で買ってくるもの」と記されているものを、こともなげに自分でつくってしまう人たち。

あるいは、ためらいなく鶏や、魚をさばける人たち。

そして、大きな塊肉をオーブンにぶちこんだり、大鍋いっぱいのシチューにしたり、大容量の料理を、ぱっぱと目分量でつくってしまう人たち。

学校で習ったわけでもなく、くらしの中で身についたくらしの知恵であり、生活の術。そんな「主婦の底ヂカラ」をそなえた「熟練主婦」に、わたしはあこがれる。

いや、あこがれるをとおりこして、無条件でひれふしてしまう。 

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いちばん身近にいる「熟練主婦」といえば、わたしの母であり、義母である。

梅の季節になると、それこそキロ単位で梅を買いこみ(もしくは近所の公園で収穫し)梅干し、梅酒、梅ジュースの仕込みにいそがしい母。

ちりめん山椒だって、じぶんでつくってしまう。

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チューリッヒ郊外に住む義母の家の庭には、黄桃、りんご、さくらんぼ、洋梨、ブラックベリー、ラズベリー、ブルーベリーが植わっていて、季節になるとジャムをつくってもたせてくれる。

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ありがたいことに、わが家ではその義母直伝のレシピで、夫が果物のタルトを焼く。

すばらしいことに、これがけっこう美味い。

この週末も、熟練主婦に混じって、2キロのあんずを買いこんできて、あんずのタルトを焼いてくれた。

そういえば、そのあんずがまだ1キロ余っているのだった。

残ったあんずのしまつにまで、頭がまわらないところは「男の料理」なのである。

ジャムでもつくってみるか?

あこがれの熟練シュフめざして、一歩をふみだしてみる、夏のひるさがり。

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 *できた。いちおうジャムの味がする。

しろうさぎとりんごの木

しろうさぎとりんごの木

 

 *ジャムにまつわるかわいいおはなし。