靴をみれば、性格がわかる
歯をみれば、育ちがわかる
手をみれば、女性の年齢がわかるのだとか。
そして、文章を読めば、人柄がわかるのだとも。
みせるつもりがなくても、人となりというものは、知らずにじみ出てしまうのだから、おそろしい。
台所も、そのひとつだ、と思う。
こだわりの食材、機能的なツールがいっぱいの、持ち主のセンスが光る台所
肝っ玉母さんの、生活感あふれるパワフルな台所
繊細な性格の男性の、ピカピカに磨き上げられた、機能的な台所
台所をみれば、暮しがわかる。
でてくる料理が想像できる。
リビング、ダイニング、キッチンがひと続きになった、仕切りのない大きな空間。
キッチンの壁だけが、ピンク色で塗られている。
ジャッキーとジルの、フランスの田舎の家のキッチンは、”バラ色の台所”だ。
ミニマルなデザインのエスプレッソマシンのとなりには、理科の実験室にありそうな、アンティークのレモン絞り器。
田舎風のリネン、日本の包丁、トルコのミントティをのせるブリキのおぼん。
旅先からもちかえった、エスニックな陶器、つかいこまれたなべ。
「かくす収納」じゃないことは、まちがいない。
かといって「みせる収納」でもない。
この台所には、「みせる」などという作為的なところが、みじんもない。
色も、テイストも、由来も、てんでバラバラのものが、ごちゃごちゃっと無造作におかれている。
にもかかわらず、全体をみると、一枚の絵みたいに、すべてが調和している。
わが台所はといえば、とくに調理中など「見ないでー!」とさけびたくなるありさまであるからして、、、この調理中にもかかわらず「鑑賞に耐えうる台所の美」には、ただただ目をみはるばかりなのだった。
「さぁ、一杯やりながらじゅんびしましょう」
ジャッキーがいって、みんなが台所にあつまった。
テーブルの上には、シャンパングラスとチップス。
アペロしながら、のんびり夕ごはんのじゅんびに、とりかかることになった。
この日のメニューは、
- イタリアンレモンのリゾット
- 羊の骨付肉のグリルとグリーンサラダ
羊はグリルするだけなので、おいておき、まずはレモンのリゾットにとりかかる。
このリゾットは、地中海のコルシカ出身のジルのレシピだ。
ジルいわく、このレシピのキモは「レモン」。
イタリアのレモン、できれば皮を食べる用のレモン、そして欲をいえば「プーリアのレモン」が理想的、なのだそう。
そのレモンの皮をむき、果汁をレモン絞り器でしぼるジャッキー。
ジルは、ブイヨンのなべを弱火にかけて温める。
わたしは、エシャロットのみじんぎりを担当した。
夫は、おしゃべりを担当していた。
エシャロットとお米を、オリーブ油で炒めた熱々のところへ、白ワインとレモンを注ぐ。
ジュワッと威勢よく音をたてて、台所にワインとレモンのさわやかな香りがたちこめる。
あとは、ブイヨンを注ぎ足しながら、お米がアルデンテになるまで待つだけ。
なべを囲んでグラス片手におしゃべりしたり。
CDプレイヤーから流れてくるノラ・ジョーンズに、うっとり耳をかたむけたり。
ホストもゲストもいっしょになって、料理のプロセスを楽しんだ。
なるほど。
こんな「おもてなし」の方法もあるのだ。
ホストにとっては、キッチンでひとりてんてこまいになるより、断然ラクチンだし、みんなで手をうごかしていると、自然にリラックスした空気がながれる。
こんなかたちの「おもてなし」も、いいものだなぁ、とおもった。
実現のためにはまず「調理中も鑑賞に耐えうる、美しい台所」が必要なのだけれど。。
そうこうするうちに、リゾットはパーフェクトなアルデンテ。
ジルが、マスカルポーネでリゾットの仕上げにかかると、グリルからは羊肉のこうばしい匂いが流れてきて、わたしたちの食欲をそそった。
ボナペティ!
窓の外では、夏のおそいおそい夜の帳が、ようやくおりてきたところだった。
その夜。
シャンパングラスが、ワイングラスにかわり。
ワイングラスが、コーヒーカップに。
そして、コーヒーカップが、ウィスキーグラスにとってかわり。
日付がかわるころになっても。
ジャッキーとジルの”バラ色の台所”にともった灯りは、なかなか消えるようすがなかったのだった。
(つづく)