くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

バラ色の台所:フランスの、田舎で、週末を(2)

靴をみれば、性格がわかる

歯をみれば、育ちがわかる

手をみれば、女性の年齢がわかるのだとか。

そして、文章を読めば、人柄がわかるのだとも。

みせるつもりがなくても、人となりというものは、知らずにじみ出てしまうのだから、おそろしい。

台所も、そのひとつだ、と思う。

こだわりの食材、機能的なツールがいっぱいの、持ち主のセンスが光る台所

肝っ玉母さんの、生活感あふれるパワフルな台所

繊細な性格の男性の、ピカピカに磨き上げられた、機能的な台所

台所をみれば、暮しがわかる。

でてくる料理が想像できる。

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リビング、ダイニング、キッチンがひと続きになった、仕切りのない大きな空間。

キッチンの壁だけが、ピンク色で塗られている。

ジャッキーとジルの、フランスの田舎の家のキッチンは、”バラ色の台所”だ。

ミニマルなデザインのエスプレッソマシンのとなりには、理科の実験室にありそうな、アンティークのレモン絞り器。

田舎風のリネン、日本の包丁、トルコのミントティをのせるブリキのおぼん。

旅先からもちかえった、エスニックな陶器、つかいこまれたなべ。

「かくす収納」じゃないことは、まちがいない。

かといって「みせる収納」でもない。

この台所には、「みせる」などという作為的なところが、みじんもない。

色も、テイストも、由来も、てんでバラバラのものが、ごちゃごちゃっと無造作におかれている。

にもかかわらず、全体をみると、一枚の絵みたいに、すべてが調和している。

わが台所はといえば、とくに調理中など「見ないでー!」とさけびたくなるありさまであるからして、、、この調理中にもかかわらず「鑑賞に耐えうる台所の美」には、ただただ目をみはるばかりなのだった。

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「さぁ、一杯やりながらじゅんびしましょう」

ジャッキーがいって、みんなが台所にあつまった。

テーブルの上には、シャンパングラスとチップス。

アペロしながら、のんびり夕ごはんのじゅんびに、とりかかることになった。

この日のメニューは、

  • イタリアンレモンのリゾット
  • 羊の骨付肉のグリルとグリーンサラダ

羊はグリルするだけなので、おいておき、まずはレモンのリゾットにとりかかる。

このリゾットは、地中海のコルシカ出身のジルのレシピだ。

ジルいわく、このレシピのキモは「レモン」。

イタリアのレモン、できれば皮を食べる用のレモン、そして欲をいえば「プーリアのレモン」が理想的、なのだそう。

そのレモンの皮をむき、果汁をレモン絞り器でしぼるジャッキー。

ジルは、ブイヨンのなべを弱火にかけて温める。

わたしは、エシャロットのみじんぎりを担当した。

夫は、おしゃべりを担当していた。

エシャロットとお米を、オリーブ油で炒めた熱々のところへ、白ワインとレモンを注ぐ。

ジュワッと威勢よく音をたてて、台所にワインとレモンのさわやかな香りがたちこめる。

あとは、ブイヨンを注ぎ足しながら、お米がアルデンテになるまで待つだけ。

なべを囲んでグラス片手におしゃべりしたり。

CDプレイヤーから流れてくるノラ・ジョーンズに、うっとり耳をかたむけたり。

ホストもゲストもいっしょになって、料理のプロセスを楽しんだ。

なるほど。

こんな「おもてなし」の方法もあるのだ。

ホストにとっては、キッチンでひとりてんてこまいになるより、断然ラクチンだし、みんなで手をうごかしていると、自然にリラックスした空気がながれる。

こんなかたちの「おもてなし」も、いいものだなぁ、とおもった。

実現のためにはまず「調理中も鑑賞に耐えうる、美しい台所」が必要なのだけれど。。

そうこうするうちに、リゾットはパーフェクトなアルデンテ。

ジルが、マスカルポーネでリゾットの仕上げにかかると、グリルからは羊肉のこうばしい匂いが流れてきて、わたしたちの食欲をそそった。

ボナペティ!

窓の外では、夏のおそいおそい夜の帳が、ようやくおりてきたところだった。

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その夜。

シャンパングラスが、ワイングラスにかわり。

ワイングラスが、コーヒーカップに。

そして、コーヒーカップが、ウィスキーグラスにとってかわり。

日付がかわるころになっても。

ジャッキーとジルの”バラ色の台所”にともった灯りは、なかなか消えるようすがなかったのだった。

(つづく)