朝。
フランスの、田舎の、朝。
パンの焼ける匂いがして、目が覚めた。
石壁に閉ざされた部屋はうす暗く、気づかなかったのだけれど、太陽はとっくの昔に顔をだし、そとは陽の光にみちていた。
あわててとび起きて、洗面所で顔を洗う。水がキーンとつめたくて、二日酔いの頭がいっぱつでシャキッとした。
さえざえとした頭に、まずはじめに思い出されたこと。それは、ゆうべ「あのバスタブで、お風呂に入らなかったこと」だった。
あのバスタブ、というのは、大きな大きな「ブリキのたらい」である。
どれくらい大きいかというと、大人が4〜5人はいけそうな巨大さで、もともとは、牧場で牛に水をやる桶として使われていたものだ。
「目にした瞬間、このすばらしい用途がひらめいてしまった」
というジャッキーとジル。
いまでは牛が水を飲むかわりに、夜な夜な人間がお湯につかっている。
この光景を牛たちがみたら、はたしてどう思うだろう?
こんなアドベンチャラスなお風呂体験をみすみす逃すなんて!
眠気に負けて、シャワーで済ませてしまった昨夜のじぶんのことが、いまさらながら腹立たしくてならなかった。
おもてに出ると、わたしの後悔などどこ吹く風の牛たちが草を食み、テラスのテーブルには、朝食の準備がととのっていた。
焼きたてのブリオッシュ、ゆで卵、ソーセージ。桃のスムージーに、ジャッキーお手製のレッドカラントのジャム。それから、Faisselle(水切りかご)という名前のシェーブル・チーズ。
このチーズは、名前のとおりプラスチックのざるに入っていて、見た目はざる豆腐のようで、食べるときにざるをあげて水を切る。
ジャムやはちみつをつけて食べるのが定番で、ちょうどヨーグルトとカッテージチーズのあいのこみたいな味がする。
このいかにも「フランスの、田舎の、朝ごはん」といった品々がならぶテーブルの一隅に、わたしは、ひときわ異彩を放つあるモノをみつけた。
染付のごはん茶碗が4つ。
人数分、きれいに重ねられているのだ。
わたしのために、わざわざ白ごはんを、用意してくれたのだろうか?
わたしは困惑してしまった。
そのお気持ちは、たいへんありがたい。
ありがたいのはたしかなのだが、いかんせん、白ごはんにシェーブル・チーズである。
これはかなり難しい組み合わせではなかろうか?
かといって、せっかくのご厚意を、結構ですとも言いづらい。
そうだ、ジャムのかわりにせめてしょうゆとネギでもあれば。。。
そのとき、ついにジルが、ごはん茶碗を手にとった。
そしてこう言ったのだった。
「Café ou Thé ?」
つぎの瞬間、各々のごはん茶碗は、コーヒーならびに紅茶で満たされていた。
染付のごはん茶碗も、こうしてみると、おしゃれなカフェオレボウルになってしまうから、不思議だ。
ごはん茶碗で飲む朝の紅茶というのも、なかなか新鮮でよいものだった。
フランス語に、
”l'art de vivre”
ということばがあるけれど、つくづく「暮らしは、アートだ」とおもう。
工夫と、アイデアと、好奇心、そして遊びごころ。
それさえあれば、暮らしはいくらでも楽しくなる、美しくなる。
太い梁をわたした吹き抜けの天井の下に、ソファを3つ、映画館みたいに配置したホームシアター。
牛乳びんを運ぶワイヤーバスケットを用いたワインセラー。
料理本ばかりを、ワインの木箱に収納したミニライブラリ。
旅好きなふたりが、旅先から持ち帰った、古今東西のオブジェ。
ジャッキーとジルの田舎の家は、そんな暮らしのアートでみちていた。
*個人のお宅なので、室内の写真は自粛しつつ、せめて一枚だけ。洗面所の窓辺におかれたオブジェ。
それにしても。
白ごはんが、出てこなくて本当によかった。
l'art de vivre 万歳!
(つづく)