くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

暮らしは、アートだ:フランスの、田舎で、週末を(3)

朝。

フランスの、田舎の、朝。

パンの焼ける匂いがして、目が覚めた。

石壁に閉ざされた部屋はうす暗く、気づかなかったのだけれど、太陽はとっくの昔に顔をだし、そとは陽の光にみちていた。

f:id:sababienne:20180813202948j:plain

あわててとび起きて、洗面所で顔を洗う。水がキーンとつめたくて、二日酔いの頭がいっぱつでシャキッとした。

さえざえとした頭に、まずはじめに思い出されたこと。それは、ゆうべ「あのバスタブで、お風呂に入らなかったこと」だった。

あのバスタブ、というのは、大きな大きな「ブリキのたらい」である。

どれくらい大きいかというと、大人が4〜5人はいけそうな巨大さで、もともとは、牧場で牛に水をやる桶として使われていたものだ。

「目にした瞬間、このすばらしい用途がひらめいてしまった」

というジャッキーとジル。

いまでは牛が水を飲むかわりに、夜な夜な人間がお湯につかっている。

この光景を牛たちがみたら、はたしてどう思うだろう?

こんなアドベンチャラスなお風呂体験をみすみす逃すなんて!

眠気に負けて、シャワーで済ませてしまった昨夜のじぶんのことが、いまさらながら腹立たしくてならなかった。

f:id:sababienne:20180813202907j:plain

おもてに出ると、わたしの後悔などどこ吹く風の牛たちが草を食み、テラスのテーブルには、朝食の準備がととのっていた。

焼きたてのブリオッシュ、ゆで卵、ソーセージ。桃のスムージーに、ジャッキーお手製のレッドカラントのジャム。それから、Faisselle(水切りかご)という名前のシェーブル・チーズ。

このチーズは、名前のとおりプラスチックのざるに入っていて、見た目はざる豆腐のようで、食べるときにざるをあげて水を切る。

ジャムやはちみつをつけて食べるのが定番で、ちょうどヨーグルトとカッテージチーズのあいのこみたいな味がする。

このいかにも「フランスの、田舎の、朝ごはん」といった品々がならぶテーブルの一隅に、わたしは、ひときわ異彩を放つあるモノをみつけた。

染付のごはん茶碗が4つ。

人数分、きれいに重ねられているのだ。

わたしのために、わざわざ白ごはんを、用意してくれたのだろうか?

わたしは困惑してしまった。

そのお気持ちは、たいへんありがたい。

ありがたいのはたしかなのだが、いかんせん、白ごはんにシェーブル・チーズである。

これはかなり難しい組み合わせではなかろうか?

かといって、せっかくのご厚意を、結構ですとも言いづらい。

そうだ、ジャムのかわりにせめてしょうゆとネギでもあれば。。。

そのとき、ついにジルが、ごはん茶碗を手にとった。

そしてこう言ったのだった。

「Café ou Thé ?」

つぎの瞬間、各々のごはん茶碗は、コーヒーならびに紅茶で満たされていた。

染付のごはん茶碗も、こうしてみると、おしゃれなカフェオレボウルになってしまうから、不思議だ。

ごはん茶碗で飲む朝の紅茶というのも、なかなか新鮮でよいものだった。

フランス語に、

”l'art de vivre”

ということばがあるけれど、つくづく「暮らしは、アートだ」とおもう。

工夫と、アイデアと、好奇心、そして遊びごころ。

それさえあれば、暮らしはいくらでも楽しくなる、美しくなる。

太い梁をわたした吹き抜けの天井の下に、ソファを3つ、映画館みたいに配置したホームシアター。

牛乳びんを運ぶワイヤーバスケットを用いたワインセラー。

料理本ばかりを、ワインの木箱に収納したミニライブラリ。

旅好きなふたりが、旅先から持ち帰った、古今東西のオブジェ。

ジャッキーとジルの田舎の家は、そんな暮らしのアートでみちていた。

f:id:sababienne:20180813203019j:plain

*個人のお宅なので、室内の写真は自粛しつつ、せめて一枚だけ。洗面所の窓辺におかれたオブジェ。 

それにしても。

白ごはんが、出てこなくて本当によかった。

l'art de vivre 万歳!

(つづく)