だしてあったクリーニングをとりにいった。
入り口で声をかけるとしばらくして、パステルカラーのシャツの森から顔をのぞかせたのは、いつものなじみの店員さんだった。
あ。
選手交代。
彼女のトースト色に日焼けした顔は、夏がおわり、街が「通常オペレーション」にもどったことを、わたしに教えてくれた。
ヨーロッパの街がおおかたそうであるように、住人たちがいっせいにバカンスにでかけてしまう夏のジュネーブは、いつもとちがう顔になる。
道行くひとが、地元のひとから、中東の避暑客にとってかわられるだけではない。
パン屋さん、レストランのウェイトレス、アパートの管理人さん。
なじみの顔がいっせいに消え、かわりに「夏休み要員」が投入される。
バスの本数もガクンと減り、営業時間を短縮する店や、なかには夏のあいだまるまる閉店してしまう店もある。
街ぜんたいが、気持ちいいくらいいさぎよく「夏休みオペレーション」に切りかわる。
そのいさぎよいことといったら、いつだったか、なじみのレストランでいつもの料理を注文したらぜんぜん味がちがうので、確認すると厨房スタッフがまるごと夏休み要員だったことも。。
二週間ほど前、クリーニングを出しにきたとき受付けてくれた女性も、その「夏休み要員」であった。
慣れない手つきで、業務用アイロンと格闘中だった彼女は、わたしに気づいて顔をあげると、
「ボンジュール、マダム!」
まるで久しぶりに会う幼なじみみたいな、人なつこい笑顔でウィンクを投げてよこした。
わたしのワンピースにはワインの、夫のズボンにはチョコレートのしみがあることを伝えると、ひとつひとつ指差し確認しながら目印のシールを貼ってくれた。
なにしろひとつの動作が終わるたび、小学生みたいにいちいち復唱しては、つぎの動作にうつるものだから時間がかかる。
そして復唱するたび、わたしの顔をみて、必殺スマイル&ウィンクを投げてよこすものだから、こちらも笑顔で受け止めなければならない。
「えぇっと、ワンピースが一点」
ちらッ、ニカッ、そして、ウィンク。
「それから、、、ズボンが一点」
ちらッ、ニカッ、そして、ウィンク。
ひとさし指一本でキーボードをたたき、伝票をうちこむ彼女のおでこには、大粒の汗がびっしりはりついている。
と、必死のパッチな彼女を前に、なかなか言い出せずにいたのだけれど、じつはさっきからずうっと気になっていたことがあった。
それは、彼女の背後で、アイロンがシュウシュウと盛大に音をあげ、スチームがモウモウと吐き出されていることだった。
ボンッ!
反射的に、二人の体が1cmくらい宙に浮いた、とおもう。
店内はみるみるうちに水蒸気がたちこめて、視界がかすんだ。
目の前では、首をすくめたままフリーズしてしまった彼女が、救いを求める小動物のようなつぶらな瞳で、わたしをみつめている。
まったく救いを求めたいのはこちらのほうなのだけども、、、
「アイロン、マダム、アイロン!」
わたしは叫んだ。
ハッとわれに返った彼女は、あたふたと水蒸気に突入していった。
しかしすぐにまたもどってきて、
「本部に、本部に報告してきますっ」
なぜか、律儀にわたしにむかってそう宣言した。
そしてくるりと踵を返すと、ふたたび水蒸気のなかに姿を消し、それきりもどってくることはなかった。
さいごの瞬間握らされたクリーニングの受取り証を手に、ひとり取り残されたわたし。
彼女の無事が、気がかりではある。
しかしそれ以上に、自身の安全が懸念される状況でもある。
しばし逡巡したのち、いっちょうらのワンピースを彼女に託すことに一抹の不安をかんじながら、店を後にしたのだった。
そんなことがあっての今日だったから、店になじみの店員さんがもどっていて、テキパキと仕上がりに問題がないことを確認してくれたときには、心底ホッとしたものである。
ところが。
家に帰って、今あらためてワンピースを袋からだしてみると、おしりのところになぜか座りジワがついている。
それも”エコノミークラスに10時間座りっぱなし”レベルの盛大な座りジワだ。
いったいなにをどうしたら、こんなシワがつくんだろう???
考えれば考えるほど、なぞは深まるばかりである。
シワシワのおしりを検分するうち、ふと「夏休み要員」の彼女の、あの必死のパッチが目にうかんだ。
シワぐらいで済んでよかったかも。
なんだか、笑いがこみあげてきた。
そして、しんみりしてしまった。
選手交代。
ことしも、夏が終わっていく。
夏の終わりは、いつもちょっとさびしい。
とりたてて夏が好きなわけでもないのに、フシギだ。
*夏休みさいごの週末。今週はBack to Schoolです。