巨大なスカラベに、猫のミイラ。古代文字に、ギリシャのつぼ。トルコ石がびっしりちりばめられた魔除けのブローチ。
おもちゃ箱をひっくり返したような、古今東西のお宝の数々を、朝からぶっとおしで拝見していたせいか、頭の奥がズーンと重い。
どうやら、息を呑むような展示物の連続で、脳が酸欠に陥ってしまったようだ。
そとの空気がすいたくなって、お昼は博物館の外にでることにした。
降るのか、降らないのか。降っているのか、いないのか。まったく判然としない、ロンドンの灰色の空をみあげるとティールームの看板が目にはいった。
舗道にだされたメニューに「Tea for One」の文字をみつける。どうやら、おひとり様用のアフタヌーンメニューがあるらしい。
ためらいながら、鈍く光るドアの把手をまわすと、ぎぃっと音をたてて白い扉が開いた。
本屋さん?
いっしゅん、きょとんとしてしまう。
扉の向こうには、棚に本がずらり。
お客も、店員も見当たらず、しーんと静まり返っている。
外にでて、入り口をたしかめようと、まわれ右すると「ティールームはこちら」の矢印が。
矢印にしたがって、アンティークのティーポットがならぶらせん階段を降りていくと、書店の地下がティールームになっているのだった。
ジャムが挟まったスポンジケーキ、パステルカラーの砂糖でコーティングされたカップケーキ、ショートブレッドに、アップルクランブル。
飾らないホームメイドのお菓子がならぶカウンターの向こうから、そのお菓子以上にスィートな、あたたかい笑顔でむかえてくれた女性は、このティールームを併設する一階の書店の創業者ファミリーの一員であり、共同経営者のレスリーさんだ。
きけば、アジア、アフリカ、中東文化専門書の出版社として、その分野では名をはせるこの書店。
百年以上にわたって、代々ファミリーの手によって、経営が引き継がれてきた。
このティールームは、いまの世代のレスリーさんとその息子のティムさんとクリスさんが、数年前に開いたものなのだとか。
おもてのバス通りと、博物館のけんそうがウソのようにしずかな店内。
ティールームの壁には、アジア風の花と鳥のもようの壁紙がはられていて、アンティークの家具や、ユニークなアートやオブジェがさりげなくディスプレイされている。
いっけんテイストもバラバラで、チグハグなものたちが、ここに集められたことで共鳴しあって、絶妙なハーモニーを奏でているようだった。
抜かりなくデザインされた商業用の店舗にはない、個人の家のようなくつろいだ空気が流れる店内では、ほどよいボリュームでおしゃべりする女性たちのグループや、観光のあいまに一息つく観光客が、おもいおもいの時をすごしているのだった。
やがて運ばれてきたのは、ボーンチャイナのティーセット。
レスリーさんのイメージにぴったりの、そぼくな優しいトーンの花柄は、そろいではないところがかえって家庭的であたたかい。
ジャムとクロテッドクリームが、あらかじめこんもりと盛られているスコーンに、いっしゅんひるむ。
が、紅茶の渋みに合わせると、ふしぎと重くかんじない。
サンドイッチも、スイーツも、ぺろりといけてしまった。
ティーポットから、カップに紅茶をそそぐ音に耳をすませ、紅茶のかおりをゆっくり楽しむ。
それから、やっとひとくち、カップに口をつける。
こんな風に、ポットで紅茶を淹れるのは、久しぶりだった。
ふだんはどうしても、手軽なティーバッグにマグカップになってしまう。
こころに、時間に、ゆとりがあるから、優雅にポットでお茶なんて淹れていられるのだ。
そう思っていたけれど。
ニワトリが先か?たまごが先か?
ひと手間かけてポットでお茶を淹れることで、こころに、時間に、ゆとりが生まれるのだ。
そんなことに気づかされた、ロンドン、お茶の時間。
レスリーさんの笑顔に見送られ、ティールームを後にすると、おもてのバス通りは、あいかわらず降るんだか、降らないんだかの曇り空。
気づけば、頭の奥にかんじていた重さは、スーッと消えていたのだった。
**ロンドン、ティールームめぐり覚え書き**
1. ヴィクトリア&アルバート美術館のティールーム、ウィリアム・モリスの部屋にて。
2. ケンジントンパレスのティールームで、お子様用のサンドイッチにプチケーキを組合わせて「プチアフタヌーンティ」。
3. さいごにどうしても王道なアフタヌーンティがしてみたくて、フォートナム&メイソンへ。
ココで、その名も「Tea for one」なるティーセットを発見!
ポットをはずすと、しあわせの青い鳥が枝にとまっている、という心憎い演出にコロリとやられてしまいました。
コレで優雅にお茶を淹れて、日々こころにゆとりをもちたいとおもいます♩