SABAすたいる

スイスのくらし、旅のエッセイ、日々のできごと、おもうこと。

93才のバースデー・ブランチ

義母が、93才になった。

誕生日には、家族みんなであつまって、お祝いするのが恒例なのだが、それをだれが企画するのかといえば、義母がみずから仕切るのである。

それこそもう、場所選びから出欠とりにいたるまで、いっさいがっさい。

ことしはちょっと趣向をかえて、サンデー・ブランチにしたという義母。

「ちょっとおもしろいレストランだから、きっと気に入るわよ」

前日、家を訪ねると、きていく服を思案しているところだった。

黒のセンタープレスのズボンか、茶のコーデュロイか?

すでに決めてあるというトップスの、黒いシルクのセーターをみて「黒のほうがエレガントだね」と夫がいうと、とたんに義母の思案顔が、ぱぁっと明るんで笑顔になる。

「それじゃ、黒に決めた」

おでかけするのに何を着て行こうか、あれこれ悩むのは楽しい。

「どうしよう!着ていくものがない」

クローゼットの前でつぶやく女は、困っているようにみえて、幸福なのだ。

そしてそれをはたで見ているのも、また楽しい。

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「ちょっとおもしろい」と義母がいっていたレストランは、まるで温室のようだった。

太陽の光がさんさんとさしこみ、植物が繁茂する植物園のような店内には「17」とか「60」とか、数字のバルーンがあちこちに浮かんでいる。

なんだろう?とおもったら、年齢なのだ。

つまり、お誕生会をしているグループがあちらにも、こちらにも。

サンデー・ブランチは、大半の店が閉まってしまうスイスで、数少ない日曜日の娯楽のひとつだ。

朝の10時から14時まで、4時間。

朝ごはんメニューが、とちゅうで昼ごはんメニューに入れ変わりつつ、ひたすら食べて、飲みつづける。

休憩をはさまなければ、とても食べつづけられたものではないから、ひととおりおなかいっぱいになると、さんさんごご、腹ごなしに連れ立っておもてに散歩にでる。

このレストランは、森にかこまれた農場のなかにぽつんと建っており、ちょっとしたハイキング気分で散策ができる。

冬だというのに、何の花かわからない小さな紫色の花が咲く畑には、うっすら霧がたちこめていて、土のにおいのする、つめたい空気がきもちいい。

わたしは姪っ子Sちゃんと、農場を一周した。

インスブルックで、作曲家をしているSちゃん。

最近手がけたというドイツのドラマシリーズの音楽について、興味ぶかい話をたっぷり聞いてもどってみると、お誕生会の会場では、何やらさがしもの大会がはじまっていた。

義姉は、スマホを。

義母は、家の鍵を。

夫は、クレジットカードを。

それは余興などではなく、リアルなさがしものだった。

そんなわけで、せっかく腹ごなししてかえってきたというのに「朝、ガソリンスタンドの支払機に、クレジットカードを差しっぱなしにしてきたかも」とあわてる夫と、急きょ帰ることになってしまったのだ。

まったく年はとりたくないものである。

夫がクレジットカードを店に忘れてくるのは、これで何度目だろう?

あわただしく席をたち、皆にわかれを告げながら、わたしは夫にあきれていた。

楽しみにしていたデザートを食べそびれたことも、残念でならなかった。

ぶつぶつ文句をいいながら、発つ前にトイレに立ち寄った。

用を足し、手を洗い、トイレの鏡をみて、わたしはハッと息をのんだ。

そうだった!

エラそうにそういうわたしこそ、たいへんな忘れ物をしでかしたばかりだったのである。

鏡のなかには、テカテカ、眉なし、100%すっぴんのわたしがいた。

いまの今までうっかり忘れていたのだけど、わたしはきょう「顔」を忘れてきたのだった。

おもいかえせば、今朝のこと。

前泊した義姉の家でめざめてみると、化粧道具を一式、車で3時間の自宅にわすれてきたことに気がついた。

ほかのものならともかく、化粧道具を夫にかりることもできず、肌の色のちがう義姉にたのむこともならず。日曜日のスイスの住宅街のど真んなかで、まにあわせを調達できるようなコンビニもなし。

なにより、ブランチというので、ぎりぎりまで寝ていたため、策をこうじる時間もない。

そんなこんなで先週さんざん迷って選びぬいた、お気に入りのワンピースもむなしく、わたしはすっぴんでお誕生会に出席することになったのだ。

鏡のなかのじぶんの顔を、ふたたびみつめてみる。

20代や30代のすっぴんとはわけがちがう、深刻な事態があらためて確認され、がくぜんとしてしまう。

にもかかわらず、いま鏡をみるまでこの事実をすっかり忘れていたという、そのことに、重ね重ねがくぜんとしてしまう。

けれども、どうじにこうも思うのだ。

忘れたことを、忘れてしまう。

そしてまた、そのことを忘れてしまう。

都合の悪いことは、忘却のかなたへ。

考えようによっては、それは心穏やかに年をかさねるために必要な、体に備えられた防御本能なのかもしれぬ。

目くらましにかけたはずの免許用の黒縁メガネは、いつのまにか頭にかかっていた。

それにしても。

わたしのすっぴんに関して、だれからも何も反応がなかったのは、どうしたことだろう。

きになる。