ロンドン郊外。
地下鉄を、セントジョンズウッドの駅で降り、地図をたよりに道をたどっていくと、すぐにあたりは閑静な住宅街になる。
イギリスらしい、古くてかわいい家がならぶ通りを、行きつ戻りつしていると、屋根を修理中の職人さんが、ハシゴをおりてきて教えてくれた。
「あの、赤いドアの家だよ」
Giuliana's Kitchen
職人さんがいうとおり、ドアには小さな看板がかかっていた。
「いらっしゃい」
あたたかい笑顔でむかえてくれたのは、Giuliana's Kitchen の主、ジュリアナ先生だ。
春から秋にかけては、藤の花や、草花が咲きみだれるという中庭に面した、チャーミングなキッチン。
古い紅茶の缶や、銀器、ティーポットに、キッチンツールが所狭しとおかれた、ヴィクトリアン様式のこの自宅で、ジュリアナ先生は、毎週火曜日にアフタヌーンティ教室をひらいている。
「ホテルのティールームだけじゃなくて、イギリス人が自宅で気軽に楽しむアフタヌーンティの習慣を知ってほしい」
という言葉に惹かれて、じつはかれこれ半年ほど前から参加の機会をうかがっていた。
「そろいのティーセットもいいけれど、バラバラのものを混ぜて使うほうが、楽しいのよ」と、さっそくジュリアナ先生がみせてくれたのは、今日使うティーカップやティーポットたち。
「でも、色や柄の系統をそろえたり、くれぐれもひとつひとつが美しく調和するか気を配ってね」
シリーズではないけれど、どれも花柄に金のふちどりのティーカップが、レースのかかったトレイにセットされている。
「お好きなカップを、どうぞ」
悩みながらカップをえらぶ楽しみは、たしかにバラバラのものならではだ。
そして、息子さんが小さいころ、遠足で出かけた先でお土産に買ってきてくれたという、おもちゃみたいなスプーンや、お母さまが大事にしすぎるあまり使わずじまいだったという、オールドノリタケのティーポットなど、バラバラに集まったアイテムから、個人的な思い出やエピソードが立ち上がり、その人の人となりや暮らしがかんじられるのは、いかにも自宅でのアフタヌーンティならではの楽しみだ。
それから、キッチンに移動して、サンドイッチとスコーンを作った。
レシピじたいは拍子抜けするほどシンプルだ。
「サーモンには、レモン汁を垂らしてね」
サーモンの臭みがとれるし、紅茶に合うから。
「サンドイッチは、濡れたキッチンペーパーで覆ってね」
パンがパサパサにならないよう。
「ゲストが最初のサンドイッチを口にしたら、スコーンをオーブンに入れてね」
焼きたてのスコーンをちょうどのタイミングで食べてもらえるから。
先生が要所要所で説明してくれるポイントは、どれもうっかり手抜きしてしまいそうな、ほんとうに細かいことばかりだった。
「シンプルだからこそ、細かいことが大切。ささいなことにこそ、気を配ること」
この先生の言葉が正しいことを、なにより力強く証明してくれたのが「しっとりやわらかくふわっとレモンが香る、完璧なスモークサーモンのサンドイッチ」に、絶妙のタイミングでサーブされた「黄金色に焼きあがった、ほかほかのスコーン」そのものだったことは、もちろんいうまでもない。
それから忘れてはならないのが、ややこしそうなマナーのこと。
「ソファでお茶を飲むとき、ソーサーは、つねに胸の位置にもつこと!」
ほかのことには寛容で優しい先生も、コレばかりはどうにもゆずれないらしく、ソーサーがテーブルに置き去りになるや否や、電光石火の早業でチェックがはいるので気がぬけない。
が、マナーで何がなんでも厳守しなければならないのは、たったそれだけなのだ。ミルクを先にいれるか、お茶が先か。クリームが先か、ジャムが先か。はたまた、小指を立てるか、立てないか(?)などなど。あとのことには「これが正解」という答はない。
ある意味、決まった答に従うよりもむずかしいことかもしれないのだけれど、そのとき、その場所、状況に応じて答は変わるもの。つまり答は、都度ちゃんと自分の頭で考えて、出さなくてはならないのだ。
まわりの人が心地よくいられるように、気を配ること。
そして、自分自身も心地よくいられるように、気を配ること。
「それが、アフタヌーンティーのマナーで、一番大切なことです」
それだけ?肩透かしをくってポカンとしている私たちにそういうと先生は、ニッコリ笑って、
「もう1杯いかが?」
空になったカップに目を配り、おかわりをすすめてくれたのだった。
それにしても、この日、先生はいったい何回「CARE」という言葉を口にしたことだろう?「気を配る」という意味のこの言葉。つい最近、胸にきざみこんだばかりのような気がしてなんだかみょうに、耳に残って離れなかった。
ようやくそれが何だったかに思いあたったのは、家に帰り荷ほどきをしていたときのこと。旅先のロンドンで、みつけた小さな本を手にしたときだった。そう、買ったばかりのこの本の中で、あのクリスチャン・ディオールがこう書いていたのだ。
「エレガンスに欠かせぬ4つの要素のうち、いちばん大切なのは「CARE」である」
CARE。
この言葉には、なにか奥深いものがありそう。
もういちど、ゆっくり読みなおしてみよう。
*The Little Dictionary of Fashon, Christian Dior (V&A Publishing)*おりしも断捨離中!だった先生から、ほとんどタダ同然でいただいてきたカップとお皿。かわいいご自宅を思い出しながら、大切に使おう♪