くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

マグロであれ、仔牛であれ、なんであれ。

近所の魚屋で、マグロが特売になっていた。

店先には、朱赤のマジックでしたためられた「大特価マグロ!」のおおきな文字が、いせいよくおどり、業務用のアルミのバットに、マグロの切り身がどっさり山もりになっていた。

日本の魚屋さんのように、きれいにならべてあるわけじゃない。

ましてや個別にパックされているわけでもない。

部位もサイズもまちまちで、スジスジのものや黒ずんだものもごちゃまぜに、無造作にドサっとつんである。

ふだんは「二切れください」とか「300グラムください」とか、魚屋さんにおまかせで注文するところだけれど、これはじぶんの目でよーく吟味したほうがいいだろう。

なめるようにマグロの山を検分したすえ、ようやくうっすらピンクがかった脂ののった二切れをみつけた。

「コレと、それから、アレ、ください!」

みつけた切り身を指さして注文するのだが、これがまた、全然つうじない。

しつこく首を横にふりつづけるわたしに、なかばあきれながら、ようやくわたしの「コレ」と「アレ」を特定した魚屋さんである。

それにしても。

あきらめずこだわったかいあって、秤にのせられたその二切れは、

「あの玉石混交の山から、よくぞ選び抜いたものだなぁ」

とじぶんでもホレボレするほど美しい。

そうおもっていたのは、わたしだけではないようで。

魚屋さんは、ひゅう〜っと口笛をならすと、感嘆のため息をつき、

「トレジョリ、マダム!トレジョリ!」

そう、二回繰り返したのだった。

ちなみに、トレジョリ、というのは「とっても美しい」という意味だ。

ここで魚屋さんが「美しい」とホメているのは、もちろんわたしのことではなく、、掌中のマグロである。

しかし、たとえホメられているのがマグロだとしても、ホメられるということは、なんと甘美なものなのだろう。

わたしは、特売のマグロと魚屋さんの「トレジョリ!」を買い物かごにおさめ、お値段以上にハッピーな気分で、足どりも軽く家路についたのだった。

そういえば。

これと似たようなことが、レストランでもよくある。

たとえば、

「仔牛肉のジロール茸クリームソース煮ください」

などと食べ物の注文をした際に、

「エクセレント!マダム。たいへんすばらしい選択です」

ウェイターが、満足気にうなずきながらいうアレだ。

注文をとるときの一種のかけあいみたいなもので、あちらは、意味もなくいってることなのかもしれないけれど、それでも言われたほうは、毎回もれなくうれしい気分になるのだ。

マグロであれ、仔牛であれ、なんであれ。ホメられてうれしいのは、こどもだけじゃなく、老若男女、世界共通だ。

ところが残念なことに大人になると、なかなかホメてくれる人がいなくなる。だからこそ、そう、だからこそおもうのだ。わたしたち大人は、おたがいもっとホメあったほうがいい。

マグロであれ、仔牛であれ、なんであれ。

どんな些細なことであれ。

いいなと思ったことを思うだけじゃなく、口に出して「いいね!」というだけで、いいのだから。

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*ボーダーシャツにバンダナのユニフォームが、かわいい近所の魚屋さん。