ボタンはボタンでも、陶器のボタンというものがある、ということを知ったのは、いつだったか、クリーニングに出したジャケットのボタンが、ボロボロになって返されたときのことだった。
むきだしのまま洗濯機に放りこまれたのであろうボタンたちは、無残にも八つが八つとも、剥げたり、欠けたり、満身創痍のありさまで帰ってくることになったのだ。
「いまどきめずらしいけど、陶器のボタンですね」
ひとめみるなり、そう教えてくれたのは、替えのボタンをさがしに母とでかけた浅草橋の、ボタン屋のご主人だった。
ぱっと見、金属に塗料を吹きつけたようにみえるそのボタンが、陶器だったとは意外でおどろいたけれど、きけば戦時中は不足する金属のかわりに、陶器でボタンが作られていたことがあったのだそうだ。
だからいまでも陶器の産地にいくと、窯元の床下から陶器のボタンが出てくることがあるのだ、とも。
「しかし、いま陶器のボタンを、あつかっているところは、少ないんじゃないかなぁ」
うちも陶器のボタンはあつかっていないんだけど、といいながらご主人は、替えのボタンによさそうなものを、つぎつぎと出してはテーブルにならべてくれた。
ご主人の頭の中には、ここにあるすべての抽斗のひとつひとつに何が入っているのか、完璧に記憶されているのにちがいなく、壁にずらり、床から天井までぎっしりならぶ無数の抽斗から、目にも止まらぬ早さで、色も形も素材もさまざまなボタンが出てくるようすは、まるで手品をみせられているようでワクワクした。
つや消しの濃茶がシックな、水牛の四つ穴ボタン。
ミルクを流したようなマーブル模様の、樹脂のボタン。
エンブレムが刻まれた、真鍮のボタン。
浜辺からひろってきたみたいな、あやしい光をはなつ貝ボタン。
ひとつ数百円のボタンだけど、こうしてみせられるとどれも魅力的にみえて、どれかひとつを選ぶのは、至難のわざだった。
悩みに悩みぬいた末に、わたしが選んだのは、アンティークゴールドの真鍮の枠に、パールがかったココア色のプラスチックをはめこんだ、ちょっとレトロなボタンだ。
もとの白い陶器のボタンとは、似ても似つかないけれど、そのノスタルジックな雰囲気は、ジャケットのちょっと古風なシルエットに、きっと合うはずだとおもった。
「いい服は、ボタンをみればイッパツでわかるんですから」
ふいにご主人の声がしてふりむくと、母がうれしそうに身をよじらせているところだった。
ご主人が指差していたのは、母が着ていたジョンスメドレーだった。
シルバーグレーの透かし編みのカーディガンにつけられたボタンは、黒蝶貝のボタンなのだといわれ、そういわれてよくみると、シルバーグレーの編み地にボタンのちいさな光がきらめいて、服全体が艶めいてみえるのだった。
いっぽう、わたしが着ていたのはユニクロ。
ご主人の視線がサッと走るのをかんじて、こっそりショールで隠したつもりが、すっかりお見通しだったようで。
「ユニクロでも、ボタンかえるだけで見ちがえますよ」
そういいながら、手渡してくれたのは、ちいさな丸い穴がいくつもあいた貝がらだった。
それは、貝ボタンの材料となる貝がらで、あいている穴はボタンをくりぬいた跡なのだった。
黒蝶貝、白蝶貝、真珠貝。
ゴツゴツした外側からは想像もつかないけれど、貝がらはその内側に虹色や、鈍色、真珠色のやわらかな光を秘めている。
ひとつひとつ、日本の職人さんの手でくりぬかれた貝ボタンは、それぞれ微妙にちがうそのゆらぎが美しく、まるで宝石のようだった。
十分後。
母が、東寺のガラクタ市で買った浴衣地でつくるといっていたブラウスにつける貝ボタンを選んでもらううちに、つられてわたしも、ジャケットに付け替えるボタンとはべつに、ユニクロ用の貝ボタンを買うことになっていた。
「はあー、楽しかった。災難からぼたもち、だったわねぇ」
帰りにお昼ごはんに入った中華料理店で、絶品のエビワンタンを口にやりながら、おもわず母が口をすべらせていたけれど。
たしかにこんなことでもなければ、一生足を踏み入れることもなかったであろう浅草橋。
ボタン屋でのひとときと、絶品中華を満喫した「浅草橋の休日」が、失われた陶器のボタンをおぎなって余りあることは、否めないのだった。
*「え、クリーニング屋が払ってくれるの?だったら、いっちばん高いやつにすればよかったのに〜」領収書をお願いすると、とんきょうな声をあげたご主人は、リリー・フランキー似。
*あの日以来、着古した洋服を処分するとき、いいボタンだけはとっておくように。ご主人いわく、本当にお洒落なひとはボタンにこだわる、のだそうです♪