「ノープロブレム!」
注文したのは、エビのセビーチェよというと、ウェイターの男の子は、大きな黒い目をクリクリさせてそういった。
はずかしそうにわらうと、口もとから真っ白な歯がこぼれ、その笑顔はただでさえ若い男の子をさらに幼くみせた。
あんまりキュートな笑顔に、おもわず見惚れてしまい、
(それって、こっちのセリフだよね?)
と、おもったときにはもう、男の子はまちがって運ばれてきた”魚のから揚げ定食”もろとも、厨房にかき消えていたのだった。
ふたたび登場した男の子が、うやうやしくかかげてきたのは、紙コップをふせた紙皿だ。
コップをスッともちあげると、中からツルリンっとぷりぷりのエビがとびだし、チリソースの鮮やかな赤が白いお皿にひろがった。
手品のようなプレゼンテーションに、わーっと歓声があがる。
するとちょっと得意げな表情をうかべ、男の子はすかさず缶ビールを一本、わたしにさしだした。
「注文してないけれど?」
わたしがいうと男の子は、おわびのしるしです、とこっそりウィンクをなげてよこした。
そして、わたしがありがとうというより先に、
「ノープロブレム!」
男の子は念をおすようにそういって、ふたたび厨房に消えてしまった。
言葉の手品に、煙にまかれたような気がしないでもないけれど、ともあれビールはありがたくいただくことにしたのだった。
浜辺の海鮮食堂で、お昼ごはんをたべてしまうと、午後は夜のウェディング・ディナーまで自由時間だった。
用意周到に水着を着こんできていたというフアンくんたち若者は、海へ泳ぎにいってしまい、わたしたち大人チームは、カフェでひとやすみすることにした。
米系資本の五つ星ホテルのロビーにあるそのカフェは、わたしたちのほかに客はおらず、カウンターにはウェイターがひとり、とってもヒマそうにしているのがみえた。
テラスに席をとり、しばらく待ってみたのだけれど、いっこうに注文をとりにくる様子がない。
しかたなく、カウンターまでおもむいて人数分のコーヒーを注文すると、
「用意できたら、席までおもちします」
とウェイターはいった。
ということはどうやらセルフサービスではないらしい、というか、よく考えてみれば五つ星ホテルでセルフサービスなわけがない、ないはずなのだけれど、20分たってもコーヒーはでてこなかった。
ふたたびカウンターをのぞいてみると、ウェイターの姿は影も形も消えていて、かわりにウェイター君のお母さんぐらいの年まわりのウェイトレスがいた。
いわく。
ウェイター君は、注文のことをうっかり忘れて、家に帰ってしまったのだろう、とのことだった。
(あんなにヒマそうにしてたのに?)
(ほかに客もいなかったのに?)
(五つ星ホテルなのに?)
想定外ないいわけを前に、わたしたちの胸のうちのモヤモヤは行き場を失ってしまう。
そのモヤモヤを、ふきとばすように、
「ノープロブレム!」
お母さんウェイトレスは、力強くうなずいた。
その表情は、とにかくこの人の言うことをきいていればだいじょうぶ!とおもわせるような、母なる威厳にみちたもので、もしかしたら本当にこの人はウェイター君のお母さんなのかもしれない、とわたしはおもった。
ノープロブレム、の用法にかんじる違和感は深まるばかりだったけれど、ともあれこうして8人分のコーヒーが無料になった。
夕方になってわたしたちは、ディナーのまえにシャワーを浴び着替えをするため、いったんホテルにもどることにした。
わたしたちが泊まっているヘッツェマニのホテルは、植民地時代の一軒家を改装したもので、玄関がふつうの家のようになっている。
出入りのとき以外は鍵がかかっているので、玄関のガラス窓ごしにフロント係に合図して、鍵をあけてもらわなければならない。
中をのぞいてみるとフロントデスクでは、フロント係のオマル君がパソコンの前で、マウスをにぎった格好のまま、深い眠りについているところだった。
ぱっと見、ちょっと首を傾けてパソコンで作業しているように見えるのだけど、ノックしても反応がないのでよくみると、目も口も半開きになっていた。
あんまり幸せそうで、無防備なのが可笑しくて、いつまでも見ていたい気分だったが、ディナーの時間に間にあわなくなってしまう。
玄関のブザーを押すとけたたましいブザー音がして、まるで電源が入ったロボットみたいに、オマル君の体がシャキーンとまっすぐになるのがみえた。
そして、わたしたちがクスクス笑っていると、オマル君はちょっと決まり悪そうな顔をしていったのだ、そう、、もちろん、「ノープロブレム!」と。
じぶんに甘いこの人たちは、ひとにも甘いのかもしれない。
わたしは、このまちの居心地のよさの理由をひとつ、みつけたような気がしていた。
この流れでいくと、ホテル代が無料になるかもしれないと、あわい期待をいだきながら。
(つづく)