くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

ひとちがい

スーパーマーケットで買い物中、わたしのカゴにお菓子の袋を入れてくる輩がいた。

てっきり夫だと思い「ダイエットするんじゃなかったの?」と咎めて顔をみると、これが赤の他人のおじさんで、つづく言葉をあわててのみこんだ。

気の毒なのは、おじさんだった。

しばらく鳩が豆鉄砲をくらったように、わたしの顔をきょとんとみつめていたのだけれど、やがてみるみる血がのぼり、頭のてっぺんまで赤くなってしまった。

「す、すみません」

その「すみません」が、奥さんをまちがえたことに対してなのか?

それとも、ダイエット中なのにお菓子を買おうとしたことに対してだったのか?

いまいち判然としなかった、というのも、おじさんもまた夫と同じくらいポッチャリしていたからなのだ。

「そんなつもりじゃなくって、、すみません」

とっさに謝ってみたのだけれど、それはかえって傷口に塩をもるようなものだった。

もはや取り繕うすべもなく、死んだフリでもしようかと思った矢先。

「あなたったら。こんな若いひとつかまえて失礼よ♪」

ただひとつ救いがあったとすればそれは、わたしよりゆうに二十は先輩とお見受けするおじさんの奥さまが、うれしそうにしてくれたことだった。

しかし、まちがわれて光栄なのは、わたしのほうなのだった。

なぜならおじさんの奥さまという人が、”こんな人に間違われるなら本望!”と、ついニンマリしてしまうほど、すてきなマダムだったからだ。

白人の奥さまと、東洋人のわたしの、どこをどうまちがえれば、ひとちがいできるのだろう?

というそもそもの疑問はさておき、図らずも二人の女をハッピーにしたおじさんには、グッジョブ!と敬意を表したい気分だった。

上機嫌の妻を右手に、お菓子の袋を左手に。

”いい仕事”をしたおじさんは、悠然とスーパーマーケットの雑踏に消えていった。

 

わたしが知るかぎりにおいて、最悪のひとちがいといえば、元同僚のKのことを思いだす。

Kは上司と出張で大阪にむかう途中、新幹線のホームで見ず知らずの女の人に、靴で顔を殴られたのだ。

女の人は上司の奥さんで、Kは不倫相手にまちがわれた、ということだった。

さいわい怪我はなかったのだけれど、Kはものすごく憤慨していた。

なにしろ、親にも殴られたことがないというお嬢さま育ちのKが、あろうことか靴で顔を殴られているのだ。憤慨するのが当然だと話をきいただれもが思ったし、中には、

「傷害罪で訴えたほうがいい」

というものまでいた。

ところが、顔を真っ赤にして当の本人は言うのだ。

「ちがうの!」

憤慨しているのは殴られたことではなく、不倫相手にまちがわれたことなのだ、と。

じつをいうとわたしたちは、その不倫相手をよく知っていた。

なぜかというと、その不倫相手もまた社内の同僚だったからだ。

不倫をするのは美男美女にかぎらない。

なんと彼女は靴で顔を殴られたことよりも、そのあまりパッとしない不倫相手にひとちがいされたことに、憤慨していたのだ。

その気持ちはよーくわかるけれど。。

ここまでくると、ひとちがいで殺されたとしても、間違われた相手が気になって成仏できそうにない。

 

先週、親せきの集まりがあり、レストランに出かけたときのことだ。

集合時間ギリギリにレストランの駐車場に到着すると、道の向こう側をぞろぞろと歩いている男女のグループが目にはいった。 

夫が窓を開け、

「おーい!」

手をふると、そのグループの中のひとりのおじさんが、間髪いれず

「へーい!」

とびっきりの笑顔を返してよこした。

おじさんの顔に見覚えがなかったわたしは、まだ会ったことのない親戚なのだろうか?と不思議におもい、夫にたずねた。

「だれ?」

そういわれてはじめて、夫はしゅーっと目を細めて、道の向こうのおじさんを注意深く検分した。

夫「クリストフ、、じゃないな」

クリストフ、ではない。

夫「じゃあ、だれだろう?」

じゃあ、どうして声をかけたのだろう?

夫「でも、あっちもへーい!っていってたよ」

たしかに。あんなに迷いなく、親しげに返事を返してくれたのだから、知り合いなのはまちがいない。

目を凝らしてみてみると、あちらのおじさんも立ち止まって、こちらを検分しているところだった。

(誰だっけ?)

道をはさんで対峙するおじさん二人の頭上に、大きなクエスチョンマークが浮かんでいるのが、目に見えるようだった。

わたしは、すっかり感銘を受けてしまった。

まず。

誰だかよくわからない相手と、十年ぶりに再会した親友みたいな熱〜い挨拶を交わせること。

それがスゴイ。

しかし、そのあとレストランで背中合わせに座ることになった二人が、お互いさっきの相手だと、ぜんぜん気づいていなかったこと。

これまたスゴイ、のだった。

 

最後に。

至近距離でみたおじさんは、クリストフにはちっとも似ていなかった、ということを申し添えておきたい。

そもそも、ひとは「似ているから」といってひとちがいするわけではない。

としてみると、だれにまちがわれたか?一喜一憂するのは、バカげているのかもしれぬ。

しかし、それでも。

例えそうだとわかっていても。

次にひとちがいされたら、性懲りもなく相手が気になってしまうだろう。

どうせなら、若くてきれいな人がいい。

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*おなじようにみえて、じつはちょっとずつ違う牛たち。