スマホの顔認証機能って、すごい。
メガネをかけてても、ものすごい角度からでも、真っ暗でもちゃんと認識してくれる。
いったいどうなってるのだろう?
八年近く使っていたスマホを、買い替えたばかりのわたしは、科学の進歩にすっかり感銘を受けていた。
試しに、とても同一人物とは思えないような、変顔をしてみる。それでも、なに食わぬ顔でクリアしてくるスマホ。
さすが「スマート(賢い)」フォンだね、なぁんて感心していたのだけれど、昨夜、とつぜんウンともスンとも、わたしの顔を認識しなくなってしまった。
マスクもしてないし、夜中にサングラスをかけてるはずもなく。思い当たるふしといえば、風呂上がりですっぴん、ということだけなのだけど…。
とりあえずパスワードでロック解除し、ことを済ませていると夫が風呂からあがってきた。
スマホが思いのほかスマートではなく、がっかりしたことを報告すると、夫はじーっとわたしの顔をみて、こういった。
「ある意味、スマートなのかも」
そう指さしたわたしの鼻の穴からは、アレルギー性鼻炎のため、風呂上がりに丸めて詰めたティッシュペーパーが二本、飛び出していた。
ちなみにこのとき、わたしがスマホで何をしていたかというと「源氏物語」を読んでいたのである。
さいきん集中力が続かないわたしは、「こまぎれ読書」にいそしんでいる。各食後に十五分ずつ、と風呂上がりに十五分。一日合計四冊を並行して読む作戦だ。
読んでいたのは、まさに「源氏物語」第二十一帖・乙女の巻。
ちょうど、ティーンエイジャーの夕霧が「女は顔じゃない。花散里のような(見た目は悪くても)優しい性格の女性と、夫婦になったらどんなに幸せだろう」と、女の子の見た目にばかり執着している、自分を反省しているところだった。
若君(夕霧)は養母の夫人(花散里)の顔をほのかに見ることもあった。よくないお顔である。こんな人を父(光源氏)は妻としていることができるのである。(中略)あまり美しくない顔の妻は向かい合ったときに気の毒になってしまうであろう。容貌の醜なる点、性質の美な点を認めた父君は、夫婦生活などは疎かにして、妻としての待遇にできるかぎりの好意を尽くしていられるらしい。
『源氏物語』与謝野晶子訳
と、身もフタもない。
しかしこれくらいで止めておけばいいのに、もともとよくない顔が、年をとってからは髪も薄くなりいっそうみられなくなった、だの、身の回りに顔の悪い女性がいなかったので、ことさら顔の悪いのが気になるだの。
ほめられてるようで、散々な言われようの花散里なのである。
つまり、なんだかんだいっても古今東西、けっきょく気になるのは顔、というのが人間という生き物なのだ。
十五分の読書を終え、ティッシュペーパーをゴミ箱に捨て、布団にはいったらおもわず大きなため息がでた。
世の中、顔がすべてなのか?
とすれば、人間とはなんと愚かな生き物なのだろう?
しかし昔、シートマスクをしてお風呂から上がってきたら、くつろいでいた飼い犬がぎゃーっと飛び上がって驚いて、猛然と吠えかかってきたことがあった。
犬は匂いで人を識別してるとばかり思っていたけど、犬だって人の顔をみているのだ。
もっとも犬とスマホの場合、顔の美醜を識別しているわけじゃない分、人間よりスマートなのかもしれないけれど。
たぶん。
すくなくとも今のところは。
目があっても逃げないすずめ。わたしの顔はどんな風に映ってるんだろう?