この週末、引っぱり出して読んでいるのは、メアリー・ノートンの「床下の小人たち」だ。
人間から必要なモノを「借りて」、古いお屋敷の床下に暮らす小人の一家を描いた児童文学の名作。スタジオジブリの映画「借りぐらしのアリエッティ」の原作である。
きっかけをくれたのは、先週、わたしの住むアパートでおきた事件だった。
アパートは、ローヌ川に沿って切り立った高台の上に建っている。川の反対側からみると、五階建てのビルぐらいはある絶壁の上に、建物が建っている様子がよくみえるのだが、やや緩やかなところを選んで降りていくと、野鳥やりす、ときにきつねなども姿をみせるちょっとした森に続いている。
事件がおきたのは、その絶壁にとつぜん姿をあらわした穴だ。
先週のある日。何やら外が騒がしいので窓からのぞくと、アパートの敷地と崖をしきるフェンスの一部が取り外されており、作業員が数人忙しく行き来している。
みると、絶壁の上部に樹木の影に隠されて今までみたこともなかった穴が、ぽっかり口を開けている。その穴から作業員が次々と運び出しているのは、家財道具だった。
運び出されてくるのが絶壁の洞穴、という以外は一見、ふつうの引越しにみえる。ダブルベッドが二台、じゅうたんが二枚......、その量ときたら、はっきりいってわたしが東京からスイスに引っ越してきたときの、ゆうに3倍から4倍はある。しかもじゅうたんなんて、探してもないような色合いで、なかなか洒落ているのだ。
管理人さんによると、アパートの地下駐車場の通風口が絶壁につながっておりほら穴のようになっている空間に、いつのまにかとある一家が住みついていたのだそう。
言われてみればここ数年、その辺りにときどきゴミが捨てられていることがあったり、河岸の遊歩道から崖を登ってきた人がフェンスを乗り越えてくるので、崖にけもの道のような小道ができていたのだ。
あれはてっきり河岸で泳いだりBBQした人たちのしわざと、わたしたちは思っていたのだけれど、なるほどそういうことだったのかと合点がいく。
わたしが毎日お茶を飲んだりするベランダの目と鼻の先に、そんなに大きなほら穴があったこと。家財道具から想像するに、アリエッティの床下の家みたいに快適な住処が、そこにあったこと。そして誰にも知られず、数年のあいだそこに一家が住みついていたこと。
そのすべてに、目をみはるばかりなのだった。
どんな人たちが、どんな暮らしをしていたのだろう?
不法移民か難民か。どんな事情でここに住みついていたのかわからないのだけれど、ここに住んでいた人たちは、数日前に警察がきて話合いの上、退去していったそうだ。
いまごろ、その人たちはどこで、どうしているだろう?
ほら穴には、後日べつの業者が来て、がんじょうな鉄柵をはめていった。
出典 スタジオジブリ