日本にいる家族から、スイスのお土産にたのまれるものといえば、チョコレート、チーズ、スイスワインが定番だが、なかでも甥っ子たちに人気なのが「ジャンボ小枝」(甥っ子たちが命名)である。
日本の「小枝」を大人の指ぐらいの大きさにしたチョコレート、といえばご想像いただけるだろう。言われてみると、サイズ以外は日本の「小枝」にそっくり。その名もまさしく「Branche」(枝)なのである。
味のほうは、さすがスイスチョコレート。スーパーマーケットに置いてあるチョコにしてこのレベル!と感動するほどリッチな味で、妹のご近所さんなどは「高級小枝」と命名してくださったらしい。
ふと気になってしらべてみたら、日本の「小枝」が発売されたのが1971年、スイスの「Branche」は1907年。もしかしたら日本の「小枝」のルーツ、スイスにあり?
ただし、日本の「小枝」は森永の商品だが、スイスの「小枝」はいろんなメーカーのものがあって、特定のメーカーの商品というわけではない。マカロン、かりんとう、みたいな、こういうチョコレート菓子全般をさす一般名称にちかい。
写真のCaillerのほかにも、スイスで売り上げナンバーワンのFREY、スーパーマーケットCOOP自社ブランド、MUNZなど、いろんなメーカーの「小枝」があって、スイス人はたいていそれぞれお好みのメーカーが決まっている。
先日、ニューヨークに出張する夫(スイス人)が、現地に住む親戚P君(スイス人)に頼まれて用意したのが、写真のCaillerである。
たかがチョコレート、私には正直どれも同じに思えるのだが、こちらの想像以上に彼らのメーカーへのこだわりはハンパな気持ちではない。したがって、間違いなくP君おきにいりのCaillerの「小枝」を用意するよう、けっこう神経をつかった。
ところで、このP君、いつもスイスに帰ってくるとかならず買って帰るモノが、このチョコレート以外に2つある。
その2つが、わたしにとってはかなり「?」なものなのだけれど、今回たのまれたショッピングリストにもやはりその2つがはいっていて、P君のそれへの偏愛ぶりをあらためて思い知らされることとなった。
それというのがこちら。
マヨネーズとマスタード。
何のへんてつもない、スーパーにいけば束にしておいてあるThomyという大手メーカーのものである。日本でいえばキューピーマヨネーズ的なものと思っていただければよいかと。
とくに絶品というわけでもない、何かとくべつな味がするわけでもない、フツーのマヨネーズにマスタードなのだ。
というわけで、わざわざスイスから買っていくほどのものとはどうしても思えないし、もちろんスイスの名産品でもない、特に安いわけでもない。しかもニューヨークならば、もっと美味しいモノがよりどりみどりで手に入るんじゃないかい?とずっとずっとフシギでしかたがなかったのだけれど。
「そういうのって美味しいかどうかじゃなくて、ノスタルジー(郷愁)ですよね」
海外生活の大先輩である知人のひとことに、目からウロコが落ちた。
いわれてみれば、わが身にも思いあたるフシが、あれやこれやある。
焼きたてのフランスパンやクロワッサンが食べ放題の環境なのに、みょうにヤマザキの食パンが恋しくなったり。
本格的なカフェはいくらでもあるのに、ドトールのうすいコーヒーとふんわり軽いミラノサンドが夢にでてきたり。
ちなみにその大先輩はハワイに住んでいたことがあって、今はチョコレートの本場スイスに住んでいるのだけど、スイスチョコレートをさしおいて、チープなマカダミアナッツチョコレートが恋しくなることがあるそうだ。
ああ、これこれ、と口で感じるおなじみの味に、記憶が結びついてホッとするこのかんじ。P君も、私も、大先輩も、もとめていたのは、このノスタルジーだったのだ。
まさか食パンやドトールが恋しくなるとは思いもよらなかったが、味覚って単に美味しさを味わうだけのものではないのだなぁ、としみじみ思う。
考えてみると、なつかしく思える場所や時代がある、というのはしあわせなことだ。
幸せの記憶だったり、がんばっていた自分のすがただったり。かつて過ごした時間は、積み重なって、自分のなかに宝物みたいに埋まっている。
そしてそれはときどき、今の自分に力をくれたり、安心させたりしてくれるのだ。
と、いうことは、
いま何気なくすごしているこの時間も、未来のわたしの中で宝物になっていくのだろうか。
そう、いつか、スイスを離れてくらすことになったら、その時わたしは何を恋しくおもうのだろう?
まさかまさか、マヨネーズではないとは思うけれど。。
*アメリカに住んでいたことのある夫(スイス人)が、ニューヨークに行くと必ず買って帰るのはベーグル。この場合、ノスタルジーというよりは「美味しいから」です。