くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

ストーリーあるモノのチカラ。大伯母の古時計のルーツをたどるショートトリップ。

ウォーキングの途中、ローヌ川から丘にのぼる坂道で、ある朝、ヨボヨボのおじいさんをみかけた。

ゆっくり、ゆっくり一歩ずつ。アディダスのブルーのジョギングパンツから伸びた脚は、夏の終わりだというのにすきとおるように白くて細く、カラフルなスポーツウェアがすこし痛々しくみえた。

リハビリだろうか?

「ボンジュール」

と声をかけると、ウィンクで「ボンジュール」がかえってきた。若者でさえ息が切れる急坂なのだ。そしてまた黙々と歩みをすすめる。一歩、一歩。ゆっくりと。

チクタク、チクタク。

おじいさんには、おじいさんの時間が、おじいさんのペースで流れているようだった。

おじいさんといっしょにチクタク、チクタク。

また、会えるといいな、そう思って坂道を後にしたのだけど、その日はしばらく、あたまの中を「大きな古時計」がリピートして離れなかった。

100ねん、やすまずに、チクタク、チクタク。

いまはもう、うごかない、その時計。

わたしにも、いまはもううごかない古い時計がある。

大伯母からだいぶ前にもらったものだ。ちいさなゴールドの長方形のフェイスに、四角いゴールドのパーツをつないだきゃしゃなブレスレット式の時計である。

目が大きくて色白で、いつもきれいにお化粧していて、ちょっとした髪をなでつける仕草なんかも女らしい大伯母。

子供ごころにも色っぽいなぁと思っていたのが、わたしが年頃になってからは「いいもん塗ってつやつやにしとかなだめよ」といって、買ったばかりの高級な化粧品をそっとくれたりしたものだ。

そのくせ、ユーモアのセンスはばつぐんで、いつも私たちを爆笑させるし、人が殺せるのじゃないかと思うほどの毒舌。どこか子供みたいなところがあり、言いたいことを言い、かんじたことを自由奔放に表現するのであぶなっかしいのだけど、愛情豊かでかわいげがある。

こういう女のひとは、男性からみると「ほっとけない」ひと、ということになるらしく、若かりし頃はたいそうモテたらしい。

最終的にはアラフォーで13歳も年下の大伯父と大恋愛のすえ結婚したのだからすごい。いまなら珍しくもない年の差カップルだが、90歳になろうかという世代の話だ。ましてや非モテ系女子が主流をしめるわが一族にとって、大伯母のこの結婚は快挙だったにちがいない。

女の私がハタでみていても、愛される理由がよくわかる。大伯母はわたしにとって「愛される女性のモデル」なのだった。

そんな大伯母が「いくつも貰ったのがあるから」と言ってくれた時計である。夫から贈られたものか、はたまたかつてのボーイフレンドからのみつぎ物なのか?

ところが数年前うごかなくなってしまって、アンティークウォッチ専門の修理屋にもちこんだのだけど、修理はむずかしいと断られてしまった。

金無垢なので、金として買い取ってもらえばそれなりの額になると言われたが、そう簡単にわりきれるものではない。

先日、ふとしたきっかけで夫(スイス人)にこの時計の話をしたところ、思いがけず時計の国のスイス人のプライド(?)に火をつけてしまうことになった。

よくよくみるとフェイスに「SWISS MADE」と刻印されていたのである。

聞いたこともないメーカーだったが、夫が調べたところ古くからのスイスの時計メーカーであることが判明。買収されて別の会社の傘下に入ってはいるものの、いまも生産をつづけているようだ。

「メーカーに直接もちこめば、修理可能かもしれないよ」

本社までドライブがてら行ってみよう、ということになった。

60年以上前に、スイスでつくられて、とおいとおい日本に渡り、ブティックでだれかの目にとまり、大伯母に贈られた時計。

大伯母の人生の一時期によりそったその時計は、わたしの手にわたり、そのわたしがスイスに嫁ぎ、まわりまわって生まれ故郷に帰るのだ。

大伯母の時計のルーツをたどるショートトリップ、である。

本社は、バーゼルとベルンのあいだ、ジュラ山脈の麓のウォッチバレーと呼ばれるスイスの時計産業の集積地のはしっこにあるらしい。

その中核都市であるビエンヌにはいると、さっそくロレックスのおおきなビルが見えてきた。ロレックスはここでムーブメントを製造しているのだ。ほかにもオメガ、スウォッチをはじめそうそうたる時計メーカーが拠点をかまえている。

「さすがウォッチバレーだねぇ」

ごうかなオフィスビルが現れるたびに「あれかな?」と興奮するわたしたちだったが、行けども行けども、我らが目的地はでてこない。とうとう街の中心をぬけてしまい、細い田舎道を走るころには人家さえまばらになってしまった。

「ARRIVED!」

ついにカーナビが到着を告げた。見わたすかぎり三角屋根のちいさな家が一軒である。しかし、近づいてみるとたしかにちいさな表札に、その会社名がかかげられているのだった。

「まちがいない。ここみたい」

おそるおそる呼び鈴を鳴らす。

しばらく待つと、気のよさそうな田舎のおばさん、といったかんじの女性がドアを開けてくれた。おばさん以外だれもいないようで、オフィスはひっそり静まり返っている。

最新製品のポスターが壁にはってあるが、どれもクロノグラフや、ダイヤのベゼルのものなど大ぶりできらびやかないまどきの時計ばかり。

「これなんですけども」

と時計をみせる。

「これはまたずいぶん古いものですね」

と、おばさんも目をまるくしておどろく。そして、ちょっとむずかしいかもしれないけれど、技師にまわして修理可能かどうかみさせてみます、といった。

「もうこういう昔ながらのものは、どこもつくるの止めてしまったんですよ」

と言い訳しながらため息をつく。だからパーツがない可能性が高いのだと。大きくて有名なブランドはいいけれど、中小のメーカーはどこも淘汰されてしまってすっかり変わってしまって、とおばさんはなげいていた。

おばさんに時計をあずけると、そとにでて深呼吸した。あたりを見渡すと、牧草地のむこうにスイスの山々が連なっている。三角屋根の本社オフィスも、おばさんも、想像していたのとは全然ちがったけれど、ほんわかハッピーな気持ちになった。

そして、ここからはるばる日本にやってきたんだねぇ、と思ったら時計のことがいっそう愛しくおもえてきたのだった。

後日送られてきた時計は、ていねいにケースに収められ、技師の手書きのメッセージカードが添えられていた。

「探したみたけれどどうしてもパーツが見つけられませんでした。残念です」

大伯母の訃報がとどいたのは、それからまもなくだった。もし時計が治ったら、ルーツをたどる旅に出たことを報告しようと思っていたが、実現できなかった。そしてけっきょく、その時計がどんな事情で大伯母のもとにやってきたのかは、永遠に聞きそびれてしまった。

いま、時計はわたしのジュエリーボックスのとなりに飾ってある。

毎日ジュエリーをつけはずしするたびに目にはいるように。みるたびに「女の子はいつもキレイに、かわいげがだいじ」という大伯母の言葉を思い出すように。つい年齢を言い訳にしがちなじぶんを戒めるために。

役にたつ物だけの世の中なんて味気ない。役にたたなくてもストーリーがあるものはきもちを豊かにしてくれる。それは作り手のストーリーだったり、持ち手のストーリーだったり。

時をきざまなくなった時計にも、なお時はながれつづけているのだ。

金の買取業者で換金しなくてよかった。いや、ほんとに。

Missing Hand

*「おおきな古時計」の続編の歌では、時計はリサイクル業者でスクラップにされてしまう、という心痛むオチが待っているのですが、モデルとなった時計は大切に保存されているそうです。よかった。。