旅にでかけたら、あそことここに行って、これを見て、あれを食べて。もりだくさんの計画と下調べをして、朝から精力的にうごきまわって、目一杯旅を楽しむ。
むかしは、そんなエネルギーがあったけれど、いま同じことをしたら病気になって倒れてしまうかもしれない。
朝はゆっくりだらだらしたいし、その日の気分と天気で行く先を決めたい。ちょっと観光してつかれたら、夕ごはんの前に昼寝のじかんもほしい。
たとえ何かを見逃したって、そのうちまた来るときのために、楽しみをとっておくと考えればいいのだ。そのうちが来るかどうか、はなはだ怪しいとしても。。
そんな旅のスタイルが、夫婦間で一致しているのはさいわいであるが、このヴェネツィアの旅で、これだけはどうしても、とアポイントメントをいれた先が、ひとつだけあった。
エイミーさんのアトリエだ。
ガラス作家のエイミーさんは、ムラーノガラスで有名なムラーノ島のはずれ(どこがはずれで、どこが中心かわからぬのだが)で、世にも美しいガラスの器やビーズをつくっている。
アトリエは、大通りからちょっと入った先の、看板もなにもない、一見ふつうの住宅みたいな建物の一画にある。
複数のアーティストでシェアしているという、このコンパウンド。
失礼ながら倒産寸前、もしくは、すでに倒産してしまった中小企業の工場みたいで、とてもあの美しいムラーノグラスが作られている現場にはみえない。
が、開けっ放しになっているアトリエをのぞくと、飴細工みたいなメロンソーダ色のさそりを製作中のアーティストがいたり、吹きガラスでピンクのレース模様のゴブレットをつくっている職人さんがいたり。
全然ちがうスタイルの工房が、隣り合っているようすは、インキュベーションセンターみたいで、ちょっとワクワクした。
そんな一画にあるのが、エイミーさんのショールームである。
まだ準備中で、散らかっているけど、とエイミーさん。
じつは、はじめてエイミーさんの作るビーズアクセサリーを、写真でみた瞬間、恋に落ちてしまった私である。
その実物が目の前にずらり!
という、この夢のような状況に「落ち着け、自分!」と深呼吸するも、心拍数の急上昇は止められない。
「どんどん、好きなのつけてみて〜♪」
エイミーさんに促されるが、どれから手にとっていいのやら。
あわあわする私に、みかねてエイミーさんが手にとってみせてくれたのは、ブルーのグラデーションがきれいなネックレスだった。
「こうやってみると上から下に、空から海のグラデーションみたいでしょ?」
空も、海も、毎日色がちがっておもしろいのよ、とビーズの連なりを、わたしの目の前に垂らしてゆらゆらしてみせてくれた。
満月のリアルト橋。
ジュデッカの運河。
アカデミア橋の朝。
それから、夜の帳がおりる瞬間の名もない水路。
キラキラゆれるビーズの連なりを見ていると、この旅で目にした、さまざまな「青」が浮かんでは消えていくようだった。
と、若干、催眠術にかかったような気がしないでもないが。。すっかり「青」に魅せられたわたしが、最終的に選んだのは、このSassetti(小石)というシリーズである。
エイミーさんの代表的な作品であるRiver Stonesから派生したシリーズで、小ぶりなので身につけやすい。
この二つの「石」シリーズは、エイミーさんが、ベネト州アルド川の川のながれや、水面のゆらめき、せせらぎの音や、なめらかな河原の石からインスピレーションを得たものだ。
流れにけずられて角がとれ、丸みを帯びた石の感触やシェイプに、エイミーさんは、さまざまな経験にもまれ、磨かれてきた自らの人生をかさねている。
肌にそわせた、なめらかなビーズを指でなぞりながら、わたしはふと飛行機の中で読んだ須賀敦子さんのエッセイの一節を思い出していた。
夜、駅ごとに待っている「時間」の断片を、夜行列車はたんねんに拾い集めてはそれらをひとつにつなぎあわせる。
***
いっぽう、列車にひろいそこなわれた「時間」は、あちこちの駅で孤立して朝を迎え、そのまま、摘まれないキノコみたいにくさってしまう。
***
夜になると、「時間」はつめたい流れ星のように空から降ってきて、駅で列車に連れ去られるのを待っている。
***
思考、あるいは五官が感じていたことを、「線路に沿って」ひとまとめの文章につくりあげるまでには、地道な手習いが必要なことも、暗闇をいくつも通りぬけ、記憶の原石を絶望的なほどくりかえし磨きあげることで、燦々と光を放つものにしたてあげなければならないことも、まだわからないで、わたしはあせってばかりいた。
「となり町の山車のように」須賀敦子 河出書房
何でもないことのなかから、これは、というものを見つけ、集めて、試行錯誤を重ねて、研究して、技術を身につけ、磨いて、磨いて、磨いたものをつなげてかたちにする。
そうしてかたちになったものに、ひとは心震わせるのだと思う。
エイミーさんのアトリエの片隅にあった、ビーズの材料。まだ、息を吹き込まれる前の、材料から感じるものはすくない。
いっぽう、こちらは、吹きガラスの制作過程で出る、ガラスの切れ端。
「捨てるだけだから好きなだけどうぞ〜」と言われて、夫とふたり、無心に選んでもちかえった「ムラーノガラスのミミたち」(パンのミミならぬ)。
美しいものは、出るゴミまで美しい♪