くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

終のすみか、ではなく。

ドイツ人の友人夫妻ミハエルとサラが、「リタイア後の家を、ついに見つけた!」というニュースをもって、遊びにきてくれた。

ジュネーブには、かれこれ30年以上暮らしているふたり。

ミハエルが去年リタイアして、家を探しているとはつねづね聞いていたのだけれど、とうとう運命の家に出会ってしまったらしい。

Dolls' houses for dolls' houses
ジュネーブは、仕事のために一時的に住んでいるという外国人が多く、リタイア後に暮らすには何もかもが高いということもあって、リタイアしたらお国に帰ったり、田舎に移住したりする人が多い。

とはいえ、ミハエルとサラのように30年もくらせば、人脈や地縁も生まれるだろうし、なにより、3人の子供をそだてた思い出のいっぱいつまった家を手ばなすのには、そうとう思いきった決断が必要だっただろう。

なんどかおじゃましたことがあるだけの私でさえ、見ず知らずの人の手に渡してしまうのはおしいとおもうような、家族の温もりがすみずみにかんじられるよい家なのだ。

じっさい、候補となる家を見つけては、そのたび写真を見せてくれたりしていたのだけれど、いつのまにか話は立ち消えて。。

そんなことを幾度か繰り返したあげく、前回会った時には、

「ジュネーブの家に住み続けることも、選択肢のひとつになりかけている」

気持ちがゆれていることを、明かしてくれたばかりだったのだ。

聞きたいことは山ほどあった。

 どこで見つけたのか?

 どんな家なのか?

 なにが決め手だったのか?

Bamberg Germany

ふたりが家を見つけたのは、南ドイツのバイエルン地方にある美しい中世の街だ。

ドイツ、ということは故郷へ帰るUターンのパターンかと思ったら、サラの同級生がひとり住んでいるという以外は「まったくの新天地なのよ」といって家の写真をみせてくれた。

緑の丘の上にぽつんと建つ、白い壁に黒のとんがり屋根。格子の窓が行儀よくならぶ二階建てのその家のてっぺんには、ちいさな鐘楼がちょこんとのっかっている。

「もとは、村の小学校だった建物でね」

かつて授業が始まるのを告げていたその鐘は「今でもちゃんと鳴るんだよ」と、ミハエルは、この家のひみつをそっと明かしてくれた。

大きなリビングルームは、30人もの子供たちが机をならべていた教室だ。

すでに住宅用にリフォーム済みだけれど、よくみるとロッカーや本棚などはそのままに、そこが教室だったことを物語っている。

プチニコラ

「プチニコラ」のワンシーンみたいに、いまにも休み時間が終わって、子供たちが、がやがや騒がしく教室になだれこんできそうな。そんな気配がただようリビングルームだ。

壁を張り替えたり、家具を選んだり。すこしずつ荷物を運んで、半年ぐらいかけて引っ越ししようと思ってる。

「時間はたっぷりあるからね」

そういって笑うふたりは、この”プロジェクト”を心の底から楽しんでいるようだった。

「”終のすみか”プロジェクトですね!」

そういうと、一瞬の沈黙のあと、

「おいおい、勝手に殺さんでくれよ!」

と、ミハエル。

サラと顔を見合わせて、爆笑されてしまった。

となりで、夫も苦笑い。

どうやらわたしの英語がまずく「”死に場所”プロジェクトですね」になっていたらしく。

このての日本語はそのまま英語にすると危険、というのをうっかり忘れたあげくの、大失敗だったのだが、よくよく考えてみると、

終のすみか:これから死ぬまで住むべきところ。

(大辞泉)

そもそもの日本語の意味にも、なにか物哀しさがつきまとう、と思うのは、私だけだろうか?

 足腰が弱ったら。

 車が運転できなくなったら。

 介護が必要になったら。

 独居老人になったら。

リタイアした夫婦が住む家を決めるとき、頭によぎるものは、あたり前だけど新婚カップルのそれとはちがう。

それにしても、だ。

もうすこし楽天的に考えたっていいような気がするのだけれど。。

新聞、雑誌、テレビ。

さいきんの私たちは、あまりにも老後不安をあおられすぎなのじゃないだろうか?

いや。

私たち、といったけど、私、といい直したほうがいいのかも。

こういうと私のことを知っている人が聞いたら、意外に思うかもしれないけれど、先のことを心配しはじめたら、かぎりなくネガティブ・スパイラルに沈んでいけるタイプなのだ。

と、話がだいぶ脱線してしまったが、そもそも「終のすみか」という発想は、ミハエルとサラの頭にないようだった。

「家を買ったら一生住む」のが前提の日本と、状況に応じて積極的に住み替える欧米では、家にたいする覚悟がちがう。

つまりリタイア後に家を買うからといって、「これが最後の家」などというつよい思い入れがない。

これから先も住みかえる可能性があるのだから「終のすみか」などという大げさな覚悟も必要ないのかもしれない。

「ひとつのところに落ち着く」のと「ひとつのところから動けない」は、同じようにきこえるけどちがう。

ひとつのところから動けない、という状況はなかなかしんどい。

家だけじゃない。

仕事も、人間関係も、考え方も。

これしかない、と思うとなんだか息苦しい。

人生いろんなことがあるけど、どんな時でも前に進める、変われる、囚われないというのは、ある意味最強だとおもう。

そういうと、サラはうなずいた。

「じつはね、むこうにいっても、子供たちに歴史の話をしたり、何かできることをしようと思ってる」

言い忘れていたけれど、サラのほうはまだ現役で、高校の歴史の先生をしている。移住を決めるとどうじに、しごとを辞めるという大きな決断をしていたのだ。

天職ともいえるこのしごとをとても大切していたサラだったから、いろいろ思い悩むことも多かっただろう。

けれど、教師というしごとに固執するのをやめたら、ちがった形でいろいろ可能性がみえてきた、とサラはいった。

「この家に出会ったから、そう思えたのかも」

それにしても。

教師が天職のサラが、リタイアして住む家が「学校」だなんて!

そのことに思いがいたったのは、ふたりが帰ったあとだった。

いつ、どこでリタイアするか?は、わが家にとっても永遠のテーマ。

そろそろ真剣に考えなければならないのだけど、いまだ不確定要素がおおすぎて、まったく不透明だ。

けれども、ミハエルとサラの家さがしのなりゆきを見るにつけ思うのだった。

明日の心配は、明日する。

今日は、今日に集中する。

変わることをおそれず、流れにまかせていれば、しかるべき時に、ぴったりの居場所とめぐり合えるものなのかも。

ふたりの「教室」を訪ねるのが、今からとてもたのしみだ。

Old-time schoolroom