実家でさがしものをしていたら、小五の日記がでてきた。
まず、字が汚くてびっくり。
それから漢字の少ないことにあきれてしまった。
が、読んでみると、これがなかなかおもしろい。
子どもらしいすなおな日記だなぁ、と思って油断していると、ひやっとするような残酷な視点や、大人顔負けの痛烈な考察がくわえられている。
小五のあたまの中ってこんなだったのかぁ、というおどろきもあれば、当時から、私ってすでに私だったんだなー、という発見もあり。
1-2ページのつもりで読みはじめたら、止まらなくなってしまった。
たとえば、
上級生男子の真剣けんかを目の当たりにした日の日記だ。
六年の男のひとが、すなこ君をなぐって、けんかになった。
大きな声でさけびながら、けったり、たたいたりした。
とめようとしたら、カンサイが、
「やめときな。よっつぅだって泣かされそうになっただぜぇ」
といったので、やめました。
おとこってこわい、とおもった。
と、しるし、男のこわさを学んだようすであったのに。。
読み進めると、そのわずか数日後。
いじめっ子男子・よっつぅに、習字を破られ、お腹をパンチされたわたしは、反撃キックをくらわせたうえで、
「顔をみたら泣いていた。男でもよっつぅを泣かしたことはない。女なのにすごい、と男子がいっていた」
と、ほこらしげに書きとめているのだ。
クラスのマドンナ的ポジションにいなかったことは、はっきり覚えているけれども。
さすがにこのようなポジショニングでは、先が思いやられるというものである。
そして今ふり返ってみれば、その後のわが「女子としての人生」は言わずもがな、なのだった。
つぎは、授業ではじめて干支を習った日の日記である。
これも、別の意味で、ヒドい。
この日は、新しく担任になった、若い女の先生の干支を、クラスのみんなで当てようとしたのだけれど、正解をおしえてくれないまま、授業は終了となったのだ。
よっぽど、気になっていたのだろう。
この日わたしは、日記に通常の二倍のページを費やしている。
先生があの手この手で、話をはぐらかしたようすを、こと細かに記録したうえで、
「先生が干支を教えてくれないのは、みんなに年を知られたくないからだとおもう」
などと、身もフタもないことをいって、話をひっぱり、
「いったいいくつなんだろう?」
と、核心にせまった挙句のはてに、
「結婚していないから、あんがい29ぐらいかもしれない」
なかなかセンシティブな推察でしめくくってあった。
この日記は、毎日提出して、担任の先生がコメントをくれるという、交換日記みたいなシステムだったから、当然この日記にも先生のコメントが残っている。
「先生の年齢は、神秘のベールにつつまれているのです。ミステリアスな女のひとって、魅力的なんだよ」
いま読むと、ちょっとすてきなコメントなのである。
まぁ、
「女っていろいろタイヘン」なんてことには、これっぽっちも気づいていない小五の頭には、まったくひびかなかっただろうけれど。。
それから、
「きょうはみんなにいじめられた」
と、消え入りそうな字で、たった一行書かれている日もあった。
いじめ?
ドキドキしながらページをめくってみると、
翌日の日記は、
「ジィと、カサブランカダンディで、フィーバーした」
翌々日の日記には、
「フィーバーしすぎて、こしがいたい」
さらに、よく翌々日の日記では、
「ひざがいたい」
と、あった。
おじいちゃんと、ディスコへくりだした、わけではない。
同級生のジィのいえに、遊びにいっていたのだ。
ジィのお母さんは、いわゆるヒッピー風のぶっ飛んだ人で、沢田研二にハマっていた。
放課後、レコードをかけてくれて、お母さんといっしょにみんなで踊るのが日課だったのだ。
いじめは、一日で終了したのか?
フィーバーして、いじめから立ち直ったのか?
真相はわからないけれど、その後の日記にいじめの記載はみられず、ほっとして、日記帳をとじることができたのだった。
それにしても。
あのころ。
わたしは、ちびまる子でいられた。
お父さん、お母さんがいて、おばあちゃんもいて。
先生や、近所のおじさんや、おばさん。
たくさんの大人たちが、つくってくれた大きな屋根のしたで、どこまでものう天気で、のびのび、なまいきでいられた。
それなりに悩みはあったのだろうけど、せいぜい来週ぐらいのことしか、心配しなくてよかった。
ちゅうちゅうアイスをたべながら、歩道のブロックを落ちないように歩くことに、全神経を集中していられた。
嗚呼、ちびまる子でいられた日々!
あのころには、もうもどれない。。
一年分の日記を、イッキ読みしたあと、
センチメンタルな気分になってしまったわたしである。
よっつぅも、すなこ君も、ジィも。
カンサイ、ナガチョ、シオさん、マーコ、それからブンチにボンチも。
みんな、みんな、元気にしてるだろうか?
子どもたちが、ちゃんと「ちびまる子」でいられるよう、
きづけば、私たちが、大きな屋根をつくる番なんである。
ちびまる子、でいられたあの幸福な時間は、いまもわたしの背骨に、ながれている。