ニューヨークでは、step son(継息子)のPくんが、独身のときに住んでいたアパートに滞在している。
去年、PくんはフィアンセのMちゃんと家を買った。
だからかれこれ一年以上、このアパートには誰も住んでいないのだけど、Pくんは賃貸にもださず、そのままキープしている。
なんだかもったいない気がするのだが、ニューヨークの不動産価格はずっと高騰しつづけているので、売却益だけでいい投資になるのだそうだ。
若いのにすごいのね。
お金のことなどさっぱり考えていなかった、わたしの30代を思い返すと、ただただ感心してしまう。
バイ・アンド・ホールド。
そうして売却益を得たら、グレードアップした物件に買い換えていく、というのを繰り返していくのだそう。
みんなやってることだから、とわたしの尊敬の眼差しを打ち消すように、Pくんは頭をヨコにふった。
それにしても、もつべきはしっかり者の「継息子」くんなのである。
おかげで、あこがれのニューヨーク、それも、かのアッパーイーストサイドで、アパート暮らしができるのだから。
セントラルパークの東側にひろがる高級住宅街。
あのゴシップガールの舞台であり、数々のセレブが住む、あのアッパーイーストサイド。
Pくんのアパートは、そのアッパーイーストサイドにある。
ファサードを抜け、トピアリーに囲まれたエントランスをすすむと、ドアマンがうやうやしくドアを開けてくれる。
エレベーターを降りれば、もうそこは自宅のリビングルーム。
朝ねぼうしても大丈夫。メイドのドロータが、朝ごはんをベッドまで運んでくれるから♪
なぁんて、ゴシップガールのブレアみたいな「夢のアッパーイーストサイド暮らし」ができちゃうかも?
期待に胸ふくらませ、到着したわたしが目にしたのは、ふるい赤レンガのアパートのそっけない階段だ。
ファサードは?
トピアリーは?
ドアマンは、どこ?
とまどうわたしがエントランスに近づくと、内側からすーっとドアがあいた。
少なくともドアマンはいるようだ。
ほほえみを浮かべて、ドアマンの登場を待つ。
顔をだしたのは、シャワーキャップをかぶったおばあちゃんだった。
「雨が降り出しちゃったわねぇ」
目が合うとそう言ってニッコリ、抱えていたヨークシャーテリアを地面におろした。
雨空をみあげ、シャワーキャップを目深にかぶりなおすと、おばあちゃんはいまいち乗り気じゃない犬をうながして、ゆっくり歩き始めた。
おばあちゃんのために、気づけば、自分がドアマンになっていた。
わたしは、おばあちゃんと犬を見送って、うしろ手にドアをしめた。
そうだ。
ドアぐらい。
ドアぐらい自分で開けよう、そうしよう。
気をとりなおし、エレベーターに向かうわたしに、夫が衝撃の事実を明かしてくれたのは、そのときだった。
「さぁ、のぼろうか」
階段を、である。
Pくんの部屋は「ペントハウス」と聞いている。
聞いたときには、どれほどわたしの胸をときめかしたであろう、この「ペントハウス」というヒビキ。
いまはただ軽いめまいとともに、天にむかって果てしなくうずまくらせん階段にすいこまれ、虚しく消えゆくばかりだった。
息も絶え絶えに、5階にあるPくんの部屋のかぎを開けたとき、ドロータの姿が見当たらなかったことは言うまでもない。
あれから一週間。
ふとももの筋肉と心肺能力が、日に日にアップしていることを実感する継母である。
*豪邸が集中するのは、セントラルパークのちかく。いつかはフィフス・アベニューにアパートを♪ がんばれPくん!