くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

地に足つけて、家事を:永住権をいただきに、ニューヨーク(3)

ニューヨーク。

それは世界一、家事のアウトソーシングがすすんでいる場所だ。

メイドが雇えるようなお金持ちだけではなく、一般的なサラリーマンの家庭でも、外部のサービスを積極的に利用している。

たとえば、ごくごくふつうのサラリーマンであるstep sonのPくん。

わたしたちが、滞在しているPくんのアパートも、そうじは、週に2回通いのお掃除スタッフさんがきてやってくれるし、洗濯はクリーニング店が、下着や靴下にいたるまでキロ単位で洗ってくれ、きちんと畳まれた状態でもどってくる。

ゆいいつごはんだけは、自分で調達しなければならないのだけど、それだって一歩出ればカフェにレストランに、テイクアウトに事欠かない。

Pくんは犬を飼っているが、散歩はドッグウォーカーがしているし、そのうち子供が生まれたらまちがいなくベビーシッターが子供の世話をするのだろう。

ぜーんぶアウトソーシング。

その気になれば家のことなど、なんにもしなくてよい。

そのぶん、仕事や、社交や、趣味や、自分のことに100%集中できるというのは、いかにもアメリカっぽい合理的な考え方だ。

しかし、しかしである。

ここ数日、どうにもわたしは落ち着かない。

それは、単に、留守中他人に家にあがられて、そうじしてもらうのに抵抗があるということではない。

はたまた、毎朝あいさつを交わすクリーニング屋のおじさんに、わたしのパンツをたたんでもらっていると思うと落ち着かない、ということでもない。

それよりもっとこう何か、地に足がついていないような、生きてる実感がわかないような、心許なさみたいなもので、胸がざわざわして落ち着かないのである。

窓を拭いたり、アイロンをかけたり、野菜を吟味したり。

そういうことをいっさいしなくてよい生活って、はたしてどうなんだろうか?

cedar hill

そう、たとえば、家事をいっさいしなくてよい暮らし、と聞いて思いうかぶのは老人ホームだ。

93歳になる義母は、90歳になる直前にスーパーマーケットでころんで、大腿骨を骨折した。

手術を受けて、リハビリをして、退院してからは義姉の家に同居した。

そのまま寝たきりになってしまうかもしれない、ついに老人ホームを検討しなければならないか。

と思いきや、杖で歩けるようになるやいなや、義姉たちの反対を押し切って、ひとりぐらしの自宅へ帰ってしまった。

「できるかぎりは、自立して暮らしたい」

そういって、93歳になるいまも義母は、そうじ、洗濯、毎日の料理にいたるまですべて自分でこなしている。

義母にとって家事は、エネルギーを消耗するばかりのやっかいなことではなく、生きるエネルギーを与えてもらう「よすが」なのだとおもう。

そしてそれは、わたしたちにとってもそうなのだとおもう。

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週末は、グリーンマーケットにでかけてみた。

かざらない格好で、ねぎを吟味している人や、かぼちゃの重みを確かめている人。

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野の花を無造作にたばねたブーケを、つっこんだショッピングカートをかたわらに、鼻歌を歌いながらりんごを袋につめているおばあちゃん。

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そういう人たちに交じって、マーケットを何周もして、やっとこさポタージュにするバターナッツと、サラダにする根セロリとラディッシュ、ソテーする七面鳥、それからチーズをすこし手にいれた。

今日はひさしぶりに、料理だ。

地に足つけて、家事をしよう。

Dog walker near Central Park, New York City

*ドッグウォーカーは、あこがれの職業。今でも機会があれば、やってみたい。ただし、小型犬にかぎる。