いけばなを習いはじめたのは、スイスに移り住んでまもなくのこと。
かれこれ6年になる。
じつは日本にいたころは、英国式のフラワーアレンジにハマっていた。
よくある話だけれど、海外にでてみてあらためて、和の文化に開眼したパターンだ。
でも、それもあるけれど、一番大きかったのは、先生との出会いだとおもう。
ほんとうは英国式をつづけたくて、いろいろ探したのだけど見つからず、ふと手にとった冊子で、スイス人のいけばなの先生のインタビュー記事を目にしたのだ。
ひとめぼれして、そのまま入門。
そのときには、英国式とかいけばなとか、流派とか、形式は、もうどうでもよくなっていたようにおもう。
とにかくそんな風にして、思いがけずスイス人の先生を入り口として「外国人から、日本の文化を学ぶ」ことになったのだった。
ところで、
「外国人に、日本の文化がわかるの?」
ときどきこう聞かれるのだけど、わたしは、こう答える。
「ぎゃくに、日本人よりわかってる部分もあるよ」
日本人だからって、日本文化をよくわかっているか?といえば、そうとも言えるし、そうとも言えない。
自分のことは、自分がよくわかっているか?といって、そうとも言えるし、そうとも言えないのといっしょだ。
それに、外からみたとき、はじめて見えてくるものもある。
150年前、日本文化をはじめて目にした西洋人の、おどろき、そしておこった、ジャポニスムのムーブメント。
それをいま、ふたたび、というキャッチフレーズで、開かれている「ジャポニスム2018」のイベントで、いけばなのプログラムに参加するため、パリにでかけることになった。
「5流派の家元が一堂に会し、競演する大規模ないけばな展」
とあって家元の作品をはじめ、各流派肝いりのいけばな作品を、目にすることができるまたとない機会。
「とくに海外に住む身には、二度とないチャンスかも!(しかも、パリ♪)」
やや、前のめり気味に力説すると、
「それは、ぜひとも行っておいで」
夫もこころよく、送り出してくれたのだった。
当日、開場は12時からなのに、早朝に目覚めてしまったわたし。
カーテンを開けると、夜のあいだに降った雪で、チュイルリー公園はうっすら雪化粧をまとっていた。
窓からみえるエッフェル塔ちかくの、Maison de la Culture du Japonが、今日のいけばな展の会場だ。
この日は、午後いっぱい、ゆっくり時間をかけて、展示をみてまわるつもりだった。
会場につくと、さがすまでもなく入り口を入ってすぐ、いけばなの展示が目にはいった。
どの作品も、興味ぶかく、じっくりみてまわる。
ところが、だ。
写真を撮ったり、行ったり来たり、かなりゆっくり見てまわったのだけれど、30分もすると、見終わってしまった。
なにしろ、エントランスの片すみに、机をならべてつくった、広いとはいえないスペースなのだ。
小ぶりの作品が、それでも30点ぐらいあっただろうか。
あるときいていた大作もないし、家元作品もない。
しょうじき、日本のデパートなどで開催されるいけばな展に比べてしまうと、こじんまり感は否めなかった。
やっぱり海外だと「大規模」といいつつ、この程度がせいいっぱいなのかぁ。
せっかくパリまで来たのに。。
内心ちょっとがっかりしながら、会場をあとにすることになってしまったのだった。
さて。
おもいがけず、ぽっかり空いてしまった午後の時間を、どうしよう?
地下鉄のホームで、フル回転する頭より先に、ひらめいたのは胃袋だ。
「そうだ、クレープ食べよう!」
クレープは、わたしの大好物である。
途中下車したモンパルナス界隈には、ブルターニュ行きの列車が発着する駅があり、「クレープ横丁」なる通りがあると、かねてから耳にしていたのだ。
駅の外にでると、すぐ、クレープリーばかりがひしめき合う通りにでる。
昼どきもすぎて、がらんとした店が少なくない。
にもかかわらず、やたら混雑している店が一軒。
とびらを開けて、中をのぞくと、
「ひとり?」
おばさんが、すぐに席に案内してくれた。
しょっぱいクレープ+あまいクレープ+シードルで14ユーロ、という定食を注文。
バターたっぷりのクレープは、こんがり香ばしく、
ひとり用のピッチャーがちょっとしぶくてかわいい、シードルでほろ酔い気分になる。
パリには珍しく(失礼。)サービスがいきとどき、厨房のスタッフにいたるまでスタッフ全員が、すばらしくかんじがいい。
それも、目のまわるような忙しさなのにも、かかわらずなのだ。
混雑の理由がよくわかる、すばらしいお店なのだった。
こんなプランBなら、悪くないかも♪
すっかり気分をとりなおした、翌日のことだった。
家元じきじきに、指導してくださるという、これまた、またとないワークショップに参加するため、わたしはパリ郊外の別会場にむかった。
会場では、スイスでいけばなを師事するアリアンヌと合流することになっていた。
わたしを見つけるや否や、きのうの展示について語りはじめたアリアンヌ。
そこでようやく、わたしはなにかがおかしいことに、気がついたのである。
「大作から、家元作品から、とにかく圧巻だったわね!」
「竹のインスタレーションがとくにすばらしかったと思わない?」
(大作?)
(竹のインスタレーション?)
アリアンヌの口からでてくるのは、どれも心あたりがないものばかりなのだ。
キツネにつままれた表情のわたしに、スマホの写真が差し出された。
「これよ、これ」
そこに映し出されるのは、やはり見覚えのないものばかり。
首をかしげるばかりのわたしに、
「ねぇ、いったい何みてきたの?」
とうとうアリアンヌは、あきれ顔でいった。
しかし、そういいたいのは、わたしのほうなのだった。
よくよく確認してみた。
こじんまりしていたのは、当然だった。
わたしがじっくり鑑賞してきたのは、フランス支部の生徒さんの作品だったのだ。
5流派の家元の作品や、大作の数々が展示されていたメイン会場は、その奥の地下の大ホールにあったのだ。
ジャポニスム2018:響きあう魂 | Facebook より(メイン会場のようす)
ジャポニスム2018:響きあう魂 | Facebook より(メイン会場のようす)
おもいかえせば、、、
- スイスからはるばる、出雲大社にお参りしたのに、最初に目にはいった拝殿のしめ縄を、あの有名な大しめ縄と思いこみ、肝心な神楽殿の大しめ縄をみのがしたわたし。
- 山道を車酔いに苦しみながら、ハワイ島のマウナケアに登れば、一歩手前のビジターセンターを山頂と思いこみ、山頂からの息を飲むようなサンセット&星空をみのがしたわたし。
- イタリアの教会では、キヤノンだったかエプソンだったか、高精細コピーの技術で複製したというフレスコ画を、本物と思いこみ、本物をみのがしたわたし。
と、まあ、
わたしの早とちりは、今にはじまったことではないのだけれど、はるばるパリまできておきながら、肝心の展示を見ずに帰るとは!
ようするにステージでいえば、前座だけみて帰ってきてしまったようなものである。
そうとも知らず、花より、クレープ、なんて。。。
いけばなへの情熱を理解して、パリまで送り出してくれた夫には、ナイショにしておこうと思っている。
ジャポニスム2018:響きあう魂 | Facebook より(メイン会場のようす)
*見たかった〜( ; ; )肝心なものをみのがしているのは、旅先だけじゃないような気がする、今日このごろ。