ハヴィは、ハワイ島の北の端っこにつきでた岬にある、風の街だ。
コナから海沿いの19号線を北に向かい、ワイメアからコハラマウンテンロードに入ると、景色は溶岩台地から牧草地へ一変する。
海までつづくこの道の、終点がハヴィ。
大地がストンと切り落とされたような絶壁が、海にむかってそそりたち、海のむこうにはおとなりのマウイ島がけっこう間近にみえる。
標高が1637メートルあるコハラ山地にあるので、涼しくて緑ゆたか、コナやワイコロアのビーチリゾートのような喧騒とは無縁の、のどかな田舎町だ。
このハヴィに40年以上暮らしている、友だちのBとJ。
といっても5年前に一度会って、シュノーケリングとランチをいっしょにしただけなのだけど、久しぶりに連絡すると、
「うちで”リラックス・ランチ”はどう?」
自宅に招いてくれた。
「ぜひぜひ!」
ふたつ返事で住所をたよりに、コハラマウンテンロードから道をわきにそれ、さらに森の中につづく舗装されていないガタガタ道をすすむと、鬱蒼としげる木々のあいだにちいさな青い郵便箱がたっている。
それだけが、この先に家があることを示すてがかりだ。
おそるおそる車を進めると、海パン姿のBがはしごの上から手招きしているのが、しげみのむこうに見えた。頭にゴーグルをつけたまま。朝のシュノーケリングからもどり、熟れごろのアボカドを木からもいでいるところだった。
みると、木の枝にはまるまるとしたアボカドの実がいくつもぶらさがっている。いや、よく見るとアボカドだけじゃない。バナナ、パパイヤ、レモン、マンゴー。甘く熟すのを待つ果物たちが、あっちにもこっちにも。緑の葉陰でひそやかに実っているのだった。
「そこ、気をつけてね」
と、Bが指さす地面は、そこだけ1メートル四方ほど、土が掘り返されている。何かと思えば、夜な夜なイノシシがやってきては、食べ物をさがして土を耕していくのだとか。そんな自然あふれる森が緑の影をおとす一画に、BとJの家は、まるで森の一部のようにすっかり周囲になじんだようすで建っていた。
「いらっしゃい」
高床式のようなつくりの階段を数段のぼったところに、Jがたたずみ手をふっている。大きく開かれた戸のむこうは、いきなりリビング、その先のキッチンでは、大なべが湯気をあげ、いい匂いが漂っていた。
なべの中身は、野菜たっぷりのチキンスープだった。
「今日は張り切って、朝からスペッツェリを手打ちしたのよ」
スペッツェリは、手でちぎったようなひも状のスイスのショートパスタだ。
思わぬところで出てきたお国の料理に、夫が感激していると、Jはキャセロールでチーズと手早く合わせながら、じつはご先祖さまはスイスの出なのだと教えてくれた。
前菜は、ワイメアのファーマーズマーケットで手にいれた、地元の野菜のサラダ。
手渡されたグラスには、よく冷えた炭酸水、そこにラズベリーのシロップをたらしてくれた。
”リラックス・ランチ”はどう?
とは、よく言ったもので、気づけばわたしは心底リラックスしていた。
それは、このまま昼寝してしまいたくなる衝動にかられるほどで、5年ぶりに二回目に会う人の家でこんなにもリラックスしていいのだろうかと、はばかられるくらいだった。
それは、この家のせいだった。
外と中をへだてる玄関の戸、壁という壁に多くとられた窓、部屋と部屋をへだてる扉が、開け放たれている家の中を、風が吹いているのだ。
窓わく、天井のはり、家具に塗られたペンキのシーグリーンは、森が落とす影の緑と一体化して、森と家をへだてるものがない。
はいってきた風は、とどまることなく家の中をめぐり、そしてふたたび森へぬけていく。
それはまるで、わたしの体のなかに風がふいているようでもあり、体の中と外をへだてるものがなくなっていくような心地よさを、もたらしているようだった。
「気になるようだったら、閉めてね。いちおう扉はあるのよ」
と言われたトイレ。
そう言われてよくよく見ると、フックをはずすと壁の一部がトイレの扉になる仕組みになっていた。が、扉を開けっぱなしで用を足すことに、とくに抵抗はなかった。どっちみち、大きな窓がふたつ開け放たれていて、外からは丸見えなのだ。
風に吹かれながら、便座にこしかけると、露天風呂、、ならぬ露天トイレ的な爽快感がたまらない。ふとだれかの視線をかんじて目をやると、窓わくにいつのまにか三毛猫が、ゆらりゆらりと尻尾をゆらしてこちらをじーっとみつめていた。
ソフトボールの試合に出る、というBを見送ってから、Jとわたしたちは食後のコーヒーを飲んだ。
「濃くなりすぎちゃった」
と、エスプレッソなみのパワフルなコーヒーを、マグカップになみなみ注いでくれたので、ミルクとココナッツシュガーでうすめながらゆっくり飲んだ。
このあとJは、描きかけの絵のつづきをするそうだ。
さまざまな形の筆に、色のサンプル、キャンバスやフレームがところ狭しと並べられたアトリエには、描きかけのキャンバスがイーゼルにかかっていた。
家のなかを、風がとおっていく。
家は人が建てるものだけれど、どうじに、家は人を作るのだろう。
風とおしのいい二人の暮らしを、もうすこし味わっていたくてわたしは、コーヒーの最後のひとくちを、いつまでもカップの底でゆらしていた。