「バタバタしてて」が口癖だった時期がある。
その頃のわたしときたら、かずかずの不義理や不精の言い訳を、この口癖ひとつですませていたようにおもう。
残業する人が仕事熱心で、休む暇もないほど仕事を任される人が優秀。「忙しい」のが良くて「暇」は悪とされる価値観。
それが骨の髄までしみついていたわたしにとって、「バタバタしてて」は、じつに使い勝手がよい魔法の言葉だったのだ。
あれは「忙しい病」だったのだ、とおもう。
「バタバタしてて」はその典型的な症状で、「忙しい病」の価値観が蔓延している地域で人から人へ感染する。
その証拠に、暇が良し、とされるスイスで暮らし始めた頃からだろうか?わたしは「バタバタしてて」を、口にしなくなったような気がする。
ドウロ渓谷にあるポルトガルワインの産地・ラメーゴ。わたしたちは夏休みを、とあるワイナリーで過ごすことになっていた。
門をくぐって木立に消える一本道、両脇をりんごの木にふちどられたその道を、ガタゴト車を走らせること数分。やっとワイナリーの建物が見えてきた。
「ちょうど、今日から収穫がはじまったんです」
スタッフのフランシスコ君が案内してくれたぶどう畑は、見わたすかぎりがこのワイナリーのものらしい。
収穫と聞いていっしゅん「手伝ってみたい!」と思ったけれど、口に出さなくてよかったとわたしは胸をなでおろすことになる。
傾斜地にあるぶどう畑は、ちょっと散歩するだけでも息切れしてしまう。炎天下の収穫作業が、かなりの重労働であることは容易に想像がついた。
ここはひとつ、味わうことに徹しよう。あっさり方針転換してついた夕食のテーブルには既に、赤と白のワインがでんっとおかれていた。
まずは、きりりと辛口の白。ポルトガルの前菜の定番、たらのコロッケをつまむ。メインの豚の煮込みには、スムースな赤。
ポルトガルのワインって甘口のイメージがあったけれど、ここのはどれも辛口だ。デザートにいく前にもう少し、とふたたび白にもどってチーズをつまむ。
なにしろ、ワイナリーの飲み放題なのである。
蛇口からワインが出てきてもおかしくないぐらい、ワインなら裏のセラーにたっぷりある。おまけに歩いて三十秒のところに、ベッドが待っているのだ。
この状況で、飲みすぎずにいられる者が、いったいどこにいるというのだろう?
もちろん食後は、ベッドに直行することになった。
じつをいうと、ここから先はあまり書くべきことがない。
朝ごはんのあと、ぶどう畑を散歩。プールでひと休みして、お昼になったらサンドイッチを木陰で食べる。午後は部屋にもどって昼寝、夕食に備えてお風呂に入っておく。
そして、今日こそは飲みすぎないようにしよう、という誓いもむなしく、ベッドに直行する。
わたしたちのワイナリーでの一日は、毎日判を押したようにこんなふうに始まり、こんなふうに終わったからだ。
敷地の外には、ただの一度もでかけなかった。テレビもインターネットも、メールもSNSもなしですごした。よく食べて、よく飲んで、よく眠る。ただそれだけ。
せっかくここまできたのに、なんだかもったいないような気もするけど、案外これがワイナリーの正しい過ごし方なのかもしれない。
バカンスの語源は、空っぽ。
日常から自分を切り離して、ふだん自分を満たしているあれやこれや雑多なものを、いったん空っぽにしてみる。
休暇、というのはそのためにあるのだから。
と、本来ならばこんなキザなセリフで、カッコよくしめくくるハズだったのだけど……。
残念ながらこの話には、カッコ悪いつづきがある。
出発の朝、読み終えた本をワイナリーに置いていく、と夫がいうので気づいたことがひとつ。そういえば、わたしも本を一冊持ってきたはずなのだ。
旅からもどって数日後。
「あの本、どうだった〜?」
本を勧めてくれたY子さんが電話をくれたとき、わたしはとっさにこう答えていたのである。
「いやぁ、じつはバタバタしてて、まだ…」
忙しい病が完治していなかったことを知る、夏の終わりなのだった。
収穫がはじまったワイン用のぶどう。
敷地内には、キウイ、いちじく、りんご、レモン、オリーブ、ブラックベリー、ラズベリーなどの木が植わっていて「食べごろのものは、自由に採って食べてください」とフランシスコ君。
ランチに用意してくれた、レモネードはもちろん敷地内のレモンの搾りたて、お手製のレモネードでした。