くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

布とか、紙とか、毛糸とか。

友人のNさんから、手編みのカーディガンをいただいた。

いつも自分で編んだニットをすてきに着こなしているNさん。会うたび「すてきね」とほめていたら「編んであげる」と。秋ぐちに会ったとき、好きな色を聞かれていたのだ。

とちゅう採寸してもらったりしながら、楽しみに待つこと三ヶ月。

できあがったカーディガンは、空気をはらむようにふんわり軽くて暖かい。よくみると袖ぐちと裾と肩のところには、透かし編みの模様が入っている。アイスグレイ色の毛糸は、Nさんの貯蔵する膨大な毛糸コレクションから、わたしがえらんだものだ。

じつは、海外を旅することが多いNさん。

「知らないうちに、両手に大きな紙袋がぶらさがってるんだよね」

と、旦那さまのJさんが苦笑いするほど、旅先で毛糸屋をみつけると”つい毛糸を買いこむ病”にかかっているらしい。

「こんなにあるんだけどねぇ...」

いまにも雪崩がおきそうな毛糸の棚の前で、うっとりコレクションを眺めるNさんの横顔にはしかし、反省の色など一切見られないのだった。

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でもなんか、わかるなぁ。

小柄なNさんが免税品でも名産品でもなく、色とりどりの毛糸の玉でパンパンの紙袋を両手に提げて、世界じゅう旅している姿を想像すると、わたしはなんだか頬がゆるんでしまう。

旅先でつい買ってしまうもの。まわりに呆れられながらも、気づくとまた増えているもの。わたしにも、いくつか心当たりがあるからなのだ。

たとえば布と紙だ。

イタリアのマーブル紙、千代紙に、和紙。ロンドンのリバティプリントに、着物のハギレ、ベトナム少数民族のテキスタイル。

ただし、お裁縫や工作をするわけではないので買うといってもほんの少し。紙なら一、二枚、布なら端切れだ。けっして高価なモノではなく、なんならお菓子の包装紙とか、空き箱みたいなモノにも食指がうごく。

使うあてもないのに集めたものが、使われぬまま棚で眠っているのにもかかわらず、ついまた手が伸びてしまうのだ。

こんなにたくさん、いったい何に使うんだろ?

ときどき頭をよぎらないわけではないけれど。何に使うわけでもなく、ときどき取り出して愛でるだけで楽しいし、きれいな紙や布が棚にしまってある、と思うだけで幸せなのだからしかたがない。

そう。

だから、わかるのだ。

Nさんの気持ち。

偏愛アイテムのある人や、収集癖がある人に出会うたび、わたしは愉快な気分になってしまう。

そしてその満たされた顔を見るたび、人は役にたつモノ、必要なモノだけで生きているわけじゃないのだなぁ、としみじみ思う。

折しもこのご時世。

家の物置ぐらい不要不急でいっぱいにしたって、いいんじゃないかな?

...なんて言い訳しながら、今日もわたしはわが家の「不要不急コレクション」を愛でている。

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*とはいえ、ごくごく稀に「不要不急」コレクションが役に立つこともあって.....。ちょっと前に手に入れたロアルド・ダールの「James and the Giant Peach」の初版本。値段がリーズナブルなぶん、表紙の状態がかなり悪い。(カバーはボロボロで、かろうじて紙片が付属するのみ)

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*で、何年か前にロンドンのV&Aミュージアムで買った、ウィリアム・モリスのハギレでブックカバーを作ってみました。本の大きさに折って、上と下を一直線になみ縫いしただけ。家庭科の先生がみたら卒倒しそうな大雑把な作りだけど、まぁ悪くない。ついでに気に入ってとってあった、フルーツティの紙箱でしおりも作成♪