さばすたいる

スイス暮らしと旅のエッセイ

守らなかった約束

レモンを切らしていることに気づいて、散歩の途中でスーパーマーケットに立ち寄った。

近ごろではお店に入るとき、不織布マスクの着用が義務付けられている。入店するのは不織布マスク着用の夫にまかせ、布マスクだったわたしは外で待つことにした。

スーパーマーケットの入り口にはベンチがある。わたしと似たような事情なのだろう、マスクをしていないおじさんが一人、ひと待ち顔で腰掛けていた。ちょっとあいさつして、わたしも端っこのほうに座らせてもらう。

すると、もうひとつ、ひと待ち顔が目に入ってきた。それは、黒のラブラドール・レトリーバーだった。その犬は飼い主が消えていったのであろうスーパーの入り口を、じっと静かにみつめていた。

犬には、われわれ人間みたいに「待つあいだ、他のことをして時間を潰す」という発想は、ないらしい。

隣のおじさんみたいにスマホをいじったりもせず、わたしみたいに通りがかりの人のおしゃれなブーツに気をとられたりもせず、もちろん明日の歯医者の予約は何時だったっけ?なんてことを考えたりもせず。

その黒いラブラドール・レトリーバーは、ただひたすら飼い主を「待つ」という行為に、全身全霊をかけて集中していた。

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 「待っててね、お花見のころに、また来るからね」

そう言いおいてきたわたしのことを、ムーくんもこんなふうに待っていてくれたのだろうか?

その黒のラブラドール・レトリーバーをみているうち、ふとわたしは日本の実家で飼っていた犬のことを思い出していた。

ムーくんは、十六歳の黒のパグ。

ここ最近はすっかりおじいちゃん犬だったから、この「待っててね、また来るからね」という約束には、年に一度帰国できるかどうかのわたしにとって、半分祈りに近いものがこめられていたわけだけれど。

結局、そう約束した去年のお花見のころといえば、コロナで帰国どころではなくなっていたのだった。

そのムーくんが何度も体調を崩して、「もうダメかもしれない」という報せが実家から届くようになったのは、去年の桜の開花がはじまったころだ。

ところが、そのたび奇跡的にもちなおしたムーくん。

「この調子なら、コロナがおさまるころまで大丈夫かもね」と、皆が楽観的になりかけた矢先のことだった。

ピンク色に染まっていたまちが、すっかり葉桜のみどりに塗り変わるころ。

ムーくんは、天国に行ってしまった。

「お花見のころに、また来るからね」という、ムーくんとの最後の約束を、けっきょくわたしは守れなかったのだった。  

ここでひとつ、白状しなければならないことがある。

結果的に「コロナで帰国どころじゃなくなっていた」というのは事実だけれど、じつはその前に別の理由で、お花見のころに帰国するのは辞めにしていたのだ。

もちろん、

「待っててね」

と約束したことを、忘れていたわけじゃない。ゴールデンウィークか夏に帰ればいいやと、軽く考えていたのだ。

数ヶ月の延期が、こんなに大きな意味をもつことになろうとは、あのときのわたしはこれっぽっちも気づかずにいた。

桜のころに来るといったわたしのことを、桜がすっかり散ってしまうぎりぎりまで、ムーくんは待っていてくれたのだろうか?

飼い主に連れられて小さくなっていく、ラブラドールの後ろ姿を見送りながら、ついわたしはそんな自分勝手な解釈をしてしまう。

ムーくんとの最後の約束を、「守れなかった」のではなくて「守らなかった」ことが、いまでもトゲのように、胸のどこかにひっかかっている。