くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

鳥たちの東海道

ちょっと早めに起きてしまった朝。窓を開けると、わたり鳥のながいながい隊列が、明るみはじめた南の空を西から東へ、横切っていくところだった。よくみると、ひとつひとつの鳥の黒い影が連なっている。それはまるで墨をふくませた筆で、ゆるゆると線をひいたような、やわらかなV字を空に描いていた。先頭の鳥がもうかなり先にいってしまっているというのに、線はなかなか途切れない。ついに、と思っても遅れて一羽、そしてまた一羽、二羽ときりがない。こんな大所帯は、いままでみたことがなくて、わたしはしばしみとれてしまった。

アパートの前を流れるローヌ川のことを、わたしは胸のうちで「鳥たちの東海道」と呼んでいる。というのも、わたしが東海道沿線で生まれ育ったからなので、人によっては中山道とか甲州街道とかに差し替えたほうがしっくりくるのかもしれない。が、何道であるかは、この際なんだってかまわない。ようするに、ローヌ川のような大きな川は、わたり鳥たちにとって方角を示してくれるだけではなく、羽をやすめ水や食べ物を補給する場所を提供してくれる、「道」のような存在なのだ。

夏のはじめのある日のことだった。

黒っぽい小さなものが、ベランダに横たわっていた。そっと近づいてみると、それは小鳥だった。足で宙をつかむようにあおむけになったまま、目を閉じて動かない。どうやらガラス窓に映った木々のみどりを、森のつづきだとかんちがいして激突してしまったようだ。脳しんとうを起こしているだけかもしれない。しばらくそっとしておくことにして、わたしは鳥辞典を本棚から引っぱりだした。

スズメよりひとまわり小さく、くちばしと尾が細長いその鳥の名前は「キバシリ(独:Waldbaumlaufer  英:Tree Creeper)」。キツツキのように、縦方向に木をのぼる姿からつけられた名前らしい……という説明を読みながら、わたしは少し前に「アメリカではビルに激突して死ぬ鳥が、年間十億羽にのぼることがある」というニュースを目にしたことを思いだした。

ガラス窓が透明にみえたり、反射しているのに気づかずにつっこむ鳥に加えて、夜、月や星の明かりをたよりに飛ぶわたり鳥たちが、ビルの照明に混乱して衝突し、大量死するケースもある。とそのニュースは伝えていたのだった。

自然のきびしさから自分たちを守るために、人間は窓にガラスをはめる。ピカピカに磨きたてたガラスで守られた内側から、自然のめぐみだけを享受している。そのせいで、自然のめぐみもきびしさも両方受け入れて生きている鳥たちが殺されている。もちろん意図してやっていることではないけれど、結果として自分が鳥たちを殺しているのだということに、(たぶん、だからこそ)わたしたちは気づいていないのだ。

ニュースで感じた理不尽さをすっかり忘れ、来客があるというので久しぶりに窓を磨いたことをわたしはひどく後悔し、数時間祈るように待ってみたけれど、あの日、ベランダの小鳥が眼を覚ますことはついになかった。

わたり鳥たちの描く線の最後尾を、少しおくれてさいごの一羽が、必死で追いかけていく。新幹線に乗ってしまえば、眠りこけてしまっても、目的地まで送りとどけてもらえる人間さまとちがって、鳥たちの旅は命がけだ。旅の無事を祈って。わたしは、わたり鳥たちのながいながい隊列を見送った。

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#わが家の鳥辞典。見慣れない鳥をみかけると、ひっぱりだして調べます。さいきんは便利なアプリもあるけれど、義母の家の屋根裏部屋でみつけたこの辞典は、装丁やイラストが美しくて開くのが楽しくなる本です。

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#よーくみると、鴨さん一家がスヤスヤお昼寝してます。気づかずに近づいていったら、お父さん鴨(たぶん。もしかしたら、お母さん鴨かもしれない)に、こっぴどく怒られました。