くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

おじいさんと犬

冬は、油断大敵だ。

午後もおそくなってから散歩にでると、とちゅうで日が暮れてしまう。

寒いし、暗いし、日のあるうちに散歩はすませよう。そう肝に銘じているのに、あっと気づいたときにはもう遅い。太陽は、西にかたむいている。

いつもより遠くまで足をのばした日曜日。国連広場まできたところで、すっかり日が暮れてしまった。つかれちゃったなぁ。足どりも重くなりかけたところへ、タイミングよくバスがきた。

入ってすぐの席に腰をおろすと、休日のバスの車内はがらんとしている。通路をはさんで向こう側に、おじいさんがひとり。ひざに乗せた犬の白と黒のぶちになった背中を、右手でゆっくりなでていた。

後頭部から首、背骨に沿ってしっぽまで。そーっと手のひらをすべらす。それからまた、後頭部にもどってしっぽまで。なんども、なんども繰りかえすおじいさんの手のうごきは、見ているこちらがうっとりするぐらい、なめらかでやさしい。思わずいつまでも目で追っていたくなるような、そんな光景だった。

ふいにおじいさんの手がとまる。おじいさんは窓のそとを指さし犬の耳に顔をよせて、ひとことふたことささやいた。犬はうなだれていた顔をあげた。たれていた耳をピンとたて、全身を小刻みにふるわせて、食い入るように何かを目で追っている。犬の視線の先に、赤いリードにつながれた白いマルチーズがゆくのがみえた。

やがておじいさんは降車ボタンを押し、つぎのバス停で降りた。おじいさんと犬は、この辺りに住んでいるにちがいない。とするとあのマルチーズは、あの犬のご近所さんなのだろう。扉が閉まり、ますますガランとしてしまった車内。おじいさんと犬の余韻だけを乗せてバスは行く。

アパートの灯りをともし、おじいさんと犬は、晩ごはんに何を食べるのだろう?

なんとなく。

ほんとうになんとなくだけど、こういう「時間」をすごすために、わたしたちは生まれてくるのかも……。

なんだか唐突に、そう思う。

姿がみえなくなってからもしばらくわたしは、おじいさんと犬のあいだに流れる「時間」をみつづけていた。

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