くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

サムシング・レッド

お祝いごとがあると、その本人が周りにケーキやお酒をふるまう。誕生日の本人が、職場や学校にケーキを持っていくなんておもしろいな。日本ではあまりみられない習慣に、さいしょは「へぇ」と思った。

でもあるとき、バースディ・ケーキを配っていたクラスメイトが、面白がるわたしのことをぎゃくに面白がってこう言ったのだ。

「えぇ? じゃあ、子どものころ誕生会に、友だちよんだりしなかったってこと?」

そういえば。

わたしだって子どものころは、自分の誕生日に誕生会をひらき、ごちそうやケーキをふるまっていたのだっけ……。いつから誕生日は「祝ってもらうもの」になってしまったんだろう?

友人のTさんが誕生日だといって、リンツァートルテとシャンパンをふるまってくれた。フランボワーズのジャムを詰めて焼いてある素朴なリンツァートルテは、Tさんが職場の同僚と誕生日のお祝いにでかけたバーデンのパティスリーのもの。

「ただの誕生日じゃなくてちょっと、トクベツな誕生日だったからね」

照れ笑いを浮かべながら、もごもごと口ごもるTさんは、まったくそんなふうに見えないのだけれど、なんとことし還暦をむかえたのだ。

その記念にと、おない年の同僚四人組ででかけたバーデンでは、温泉につかり、樹齢数百年の巨大な菩提樹を訪ね、有名な建築物をみてまわって(Tさんはじめ四人ともが建築家なのだ)大いに楽しんだのだそう。

Tさんの話を聞き、写真を見せてもらったりするうち、ちょうど読んでいる本にこんな一節があったのを思い出した。

古い僚友というのは、作ろうと思っても作れるものではない。あんなに多くの共通の思い出、一緒に過ごした辛い時間、仲たがい、仲直り、感動……そうした宝物以上に価値のあるものなど何もない。そんな友情は今から築くことはできない。樫の若木を植えて、すぐにその木陰で憩おうとしてもむりな話だ。(中略)職業というものの尊さは、何よりまず人と人を結びつけることにある。この世に本当の贅沢は一つしかない。人間の関係という贅沢がそれだ。

『人間の大地』サンテクジュペリ 渋谷豊・訳(光文社)より

あいまいな記憶の中から言葉をたぐりよせ、わたしは写真をながめた。

仲良くならんでフレームにおさまる四人組。良い時も悪い時も、となりにいる時も離れ離れの場所にいる時も、それぞれ自立しながら互いに心の支えとなるような存在なのにちがいない。

真似できたらいいなぁ。

自ら幸せのおすそわけをする習慣も、古い同志たちとの還暦記念旅行も。そのときが来たなら、いざ「サムシング・レッド」をドレスコードに……

なんてことを妄想していたらいつのまにか、四人組の写真に「わが同志たち」の顔が重なっていた。