くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

予定不調和

マリメッコのデザイナー、マイヤ・イソラ〈Maija Isola〉のドキュメンタリー映画がすこし前に日本で公開された。それに合わせてひらかれたトークイベントに参加したのだが、この映画の監督をつとめたレーナ・キルぺライネン<Leena Kilpeläinen>さんが、とてもおもしろかった。

誤解を恐れずにいうとしたら、映画のプロモーションで出演者や監督インタビューに期待されるものといえば、質問に対する「予定調和」な受けこたえと、多少の「嘘」や「盛り」は言う方も聞く方も承知の上でのリップサービスだと思う。ところがレーナさんのインタビューときたら、その期待を大きく裏切るものだったからだ。

たとえば、日本を訪れた時、次の作品のアイディアやインスピレーションを得たか?という質問には、

「特に何も」

それでは、どこが一番印象に残ったか?という質問には、

「仕事のスケジュールでいっぱいで、疲れ果ててどこも観てまわらなかった」

といった具合で、インタビュアーはちょっと困惑している様子だったけれど、聴いている側としてはこの「予定不調和」がとても新鮮だった。もしかしたら、事前の打ち合わせが十分ではなかったり、ロスト・イン・トランスレーションがあった可能性はなきにしもあらずなのだが、思うにわたしたちはふだん「予定調和」に慣れすぎているのだとおもう。

たとえばテレビや新聞は「予定調和」が基本だ。話の流れや伝えたいことに合わせて、コメントを選び編集しているからだ。生放送であってもシナリオがあり、事前に打ち合わせもしてあるはずだから、びっくりするような展開になることはまずない。

すごいな、と思うのは、インタビューされて「期待されているのは、こんなコメントだろう」とわかっているみたいな受け答えをしている人までいることだ。でもよく考えてみるとこれは、メディアの中だけに限らない。仕事、家庭……あらゆる日常の場面に「予定調和」は、はびこっている。わたし自身、本当に思っていることよりも、こう言ったらこの場が盛り上がるだろう、だとか、こう答えたら相手は気分がいいだろうということを口にしている場面が、どれだけあることか……。

たしかに「予定調和」は、耳に心地いい。

物ごとがスムーズに進む。

でも、面白くはない。

この映画の主人公、マイヤ・イソラの人生といえば、それこそ「予定不調和」の連続だ。彼女をデザイナーとして見出したマリメッコの創業者、アルミ・ラティアも然り。そういえば、アストリッド・リンドグレーンや、トーベ・ヤンソン、ルート・ブリュックなど、同時代に同じ北欧で活躍した女性たちは皆、「予定調和」とは程遠い人生を歩んでいる。

それはもちろん時代と北欧という土地のせいもあるのだろう。けれども同時に「予定不調和」をいとわない率直さというものは、何かを創り出す人に必要なものなのだと思う。

マリメッコを代表するけしの花をモチーフにしたUnikko(ウニッコ)は、期待されるものに応えるだけでは、けっして生まれなかったデザインだ。花はそのままで既に十分美しいので、デザインしてはならない、という創業者のアルミが作った掟を、マイヤが破ったからこそUnikko(ウニッコ)の今がある。

レーナさんが撮ったこの映画が、観る人たちの期待に応えるものなのか、それとも、期待を裏切るものなのか? わたしの住む街では、まだこの映画を観る機会がなく、今ここに書くことができないのがとても残念だ。でもきっと。レーナさんならば、いい意味で裏切ってくれるにちがいない。映画を観る日がくるのを心待ちにしながら、わたしはひそかに期待している。

*わたしがはじめて買ったマリメッコは、ヴィルヒキルース <Vihkiruusu>の鍋つかみ(写真上)。ヘルシンキで乗り継ぎに失敗して一泊するはめになったときに買いました。振替便が早朝だったため、一睡もできなかった思い出のヘルシンキの空港ホテル(写真下)。

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