ジュネーブの冬といえば「霧」。
アパートの下を流れるローヌ川も、冬の朝は、濃いミルク色をした霧のスープの底深くにしずんでしまいます。
町中がすっぽり冷蔵庫に入れられたみたいなこんな日は、きまって煮込み料理がたべたくなります。
などと思っていたところへ、招ばれていった友人宅での夕ごはんで、青磁グリーンのストウブの大鍋に湯気をあげていたのは、ブッフブルギニヨンでした。
ブルゴーニュの赤ワインで、奥さんがコトコト一日がかりで煮込んだ、ブルゴーニュ地方のビーフシチュー。
ふつうはブルゴーニュの赤ワインを合わせるところ、ご主人のふるさとである南アフリカのワインをあけてくださいました。
材料は赤ワインと、肉と、たっぷりの野菜のみというシンプルなレシピだからでしょうか?イメージに反して、舌には濃厚なのに、胃にはさらりとやさしい。
おかげで、ついついワインもすすみ、食べすぎてしまったわりには、翌日は、胃もたれフリーのさわやかな朝をむかえることができたのでした。
ところが。
朝イチで予約がいれてあった病院からの帰りみち、なんだか急に胃がムカムカするのです。
じつはこの日は、7月に受けた手術の術後検診。
経過はおおむね順調で、ホッとしたのですが、治療方針をめぐってドクターとちょっとした議論になってしまいました。
というのも、MRIを受けた放射線科のドクターの診断とくいちがう点があったからなのです。
「放射線科は指示されたことだけを診断してればよいのに、余計なことまで勝手に診断して、患者のいらぬ不安をあおっている!」
と、ご立腹の主治医。
「直接(手術で)お腹のなかをみたわたしと、間接的な写真(MRI)のどっちを信じるんですか!マダム?」
と、言われてもですね。。
『白い巨塔』ばりの、院内の確執がすけてみえるなか。
なにが疑問なのか、不安なのか、はたまた今後どうしたいのか、どうしてほしいのか、主張するのはなかなか骨がおれました。
そんなこんなで診察室をでるころには、のどはカラカラ。
一日分のエネルギーを使い果たしたような疲労感をおぼえつつ、病院をあとにするはめになったのです。
自己主張(じこしゅちょう)
自分の「意見」や、「欲求」、「考え」を他人に伝えること。
すべてがそこからはじまる欧米です。
しなければ不本意に甘んじるしかない、のみならず、しなければ生きていけないと言ってもけっして大げさではありません。
だまっていたら、魚屋では永遠に自分の順番はまわってこないし、学校ではおしゃべりなクラスメートの発言をえんえん聞かされて、授業料の払い損。
などといった日常のこまごましたことから果ては、よい仕事にも就けないし、よい人間関係も結べません。
だから、みていると感心してしまうのですが、みなさん本当に自己主張が上手。
きっと、して当然なことなので、意識すらせずに自然にできてしまうのでしょう。だから上手、というより、身についているといったほうが正しいのかもしれません。
- 文句、じゃなくて、意見
- わがまま、じゃなくて、欲求
- ケンカ、じゃなくて、反論
- 考えは、ちがっていい
といわれれば、ごもっとも。
自己主張は、かならずしも美徳とされない日本ですが、海外で生活したり、グローバルな環境でビジネスしたりするには、身につけなければいけないスキルであることは、まちがいありません。
まちがいないのですが。
ときに議論が白熱すれば「ケンカ?」とヒヤヒヤしたり。
率直なもの言いに「怒られている」ような気がしたり。
え?こんなことまで?という些細なことも、いちいち意見を表明しなければならず。
そしてときには、みずから強力に自己主張しなければならない場面もあり。
正直もう、ジコシュチョーで、おなかいっぱい!
ドクターとの一騎打ちからの帰り道。
お医者さん、看護婦さん、店員さん、おとなりの奥さん、なんならトイレットペーパーにいたるまで、日本のすべてにおいて「ものごしやわらか」なあのカンジを、モーレツに恋しくおもうわたしなのでした。
*ところでシチューといえば、ゲストにお出ししてきまって大絶賛されるのが、日本のシチューの素。スイスにはシチューの素が売ってないので、さいしょは、本格派のレシピに挑戦していました。が、くやしいことに「ハウスのシチュー」のほうが、あきらかに評判がよいのです。本格派のビーフシチューの味を、知り尽くしているはずの欧米人なのに、ちょっと不思議。