くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

ローヌの岸辺暮らし

サプライズだよ、ハニー♪

あれは十二月もなかばの、ジュネーブには珍しくまとまった雨が降った日の夕方のこと。歯医者の帰りみちに「寄りたい店がある」とRがいうので、わたしたちは中央駅近くのその店を訪ねたのだった。 「あ、ここだ」 雨粒に叩かれぼぅっと青白く光るその店のショ…

フェミナの青い箱

フェミナ(FÉMINA)という、青い箱に入ったチョコレートがある。スイスのチョコレートブランド・カイエ(CAILLER)のもので、ちょっとずつちがう味のプラリネが詰めあわされている。専門店でしか買えないような、ひと粒がショートケーキぐらいするチョコレートに…

ホフマンの手と、森と金貨と。

義兄のクリストフが、ランチに仔牛のパイ包みを焼いてくれた。切りわけるクリストフのがっしり肉厚な手をみていて思いだしたのは「ホフマンの手」だ。 フェリックス・ホフマンは、わたしが幼いころボロボロになるまで読んだ(かずかずの)絵本の作者である。…

雪の朝のうずうず

朝、起きてみると、外は一面の雪。アパートの庭も、川沿いの木々の枝も、向こう岸の建物の屋根も。街じゅうがふわりと真っ白な綿布団をかぶっていた。 まだうす暗いアパートの広場には、だれの足跡もついていない。ふわり、ふわり。降るというよりは、宙を舞…

かつお節だよ人生は

生まれてはじめて、昆布とかつお節から出汁をひいた。なんて、新年早々、母がきいたら卒倒するかもしれない衝撃的な告白ではあるけれど、事実なのだから仕方がない。きっかけは、知り合いのドイツ人・マルチンさん。秋に北海道に行くといったら「昆布とかつ…

ムッシュの薔薇

暦の上ではまだ春のころ。初夏を思わせる陽気に誘われて窓を開け放していると、階下のテラスから食器のふれあう音と静かにおしゃべりする声とが、パラパラと部屋に忍びこんできた。お客さまかしら、とのぞいてみると、特等席に丸くなっていたのは、あの猫。 …

ぼくの眼差し、だれかの物差し

ジュラの森に住む友人の家で、久しぶりにPさんに会った。 「夏はどこで過ごすの?」 わたしが聞くと、 「この夏は、大学生だよ」 とPさん。大学付属のフランス語サマーコースを受講するそうだ。Pさんはジュネーブ暮らしも長く、フランス語が話せないわけじゃ…

夜はどの猫も灰色

友人のCさんが、女どうしの乾杯にピッタリなワインをもってアペロに来てくれた。猫のイラストがかわいいこのロゼワインの名前は、« La nuit, tous les chats sont gris »。 《夜はどの猫も灰色》というフランスのことわざで、意味は「夜は暗くてよく見えない…

スズメの棺

キィーキィー、と聞き覚えのある音がして空を見上げれば、ツバメが縦横無尽に飛び回っていた。満開だとおもっていたマロニエの花はあっというまに盛りがすぎて、街路樹はいっそう色濃くみどりの葉を繁らせている。軒先にかけられたジョウビタキの巣も、ヒナ…

また、明日!

夕方。ピンポーンとドアベルが鳴ったのでドアを開けると、宅配便の配達だった。えんじ色の制服に野球帽をかぶった配達員は、筋肉隆々、思わず見上げてしまうほどの大男。ひょいと小脇に抱えているのは、彼が抱えているから小さく軽そうに見えるけれど、六本…

予定不調和

マリメッコのデザイナー、マイヤ・イソラ〈Maija Isola〉のドキュメンタリー映画がすこし前に日本で公開された。それに合わせてひらかれたトークイベントに参加したのだが、この映画の監督をつとめたレーナ・キルぺライネン<Leena Kilpeläinen>さんが、とてもおもしろかった。 </leena>…

夫婦げんかは「夜の庭」で。

「Jardin de nuit (夜の庭)」という題名の絵を額装にだしていたのが、出来上がってきた。これはわたしが好きなスイス人イラストレーター・アルベルティーヌさんの絵で、昨年のクリスマスにRがプレゼントしてくれたものだ。 アルベルティーヌ さんは詩的なス…

めでたし、めでたし。

狼山パン店は、Rの古い知り合いがはじめたパン屋で、いまは息子さんが店主をつとめている。狼山というのは、Wolfisbergというその一家の苗字なのだ。川向こうにあるこのパン屋には、だから、ではなく、パンが美味しいのでときどき歩いて買いに行く。併設のカ…

笑顔の功罪

夕暮れのバス停で、通りがかりのおじさんに笑顔であいさつされた。反射的にこちらも笑顔であいさつを返したのだけれど、はて、誰だっけ? うしろ姿を見送るも心当たりがない。住宅街や公共の場で居合わせた人どうし、見知らぬ人とあいさつを交わすこと自体は…

サンジャン通り、二月の或る日

二月の或る日、サンジャン通りを歩く。 いつものアパートの庭に、今年もまたスノウドロップが咲いていた。ぽっちりと小さく、ひっそり咲く白い花。桜のような華やかさも、プリムローズやクロッカスの賑やかさもない。にもかかわらず、はっと目を惹かれてしま…

花もつ男

花もつ男の人が、好きだ。いや、ちがうな。花もつ男の人の姿を見るのが、好きなのだ。誰かを喜ばそうとしている人の姿をみるのが好き、と言いかえてもいい。 そういう意味では、もっているモノはケーキでもおもちゃでもいいし、男の人じゃなくて女の人だって…

あお君と、みどりさん

駅にいく途中、信号まちをしていると、ふいに「色」が眼にとびこんできて眼に染みた。年若い男女の二人組が、わたしの前に立ち止まったのだ。 群青色のパンツに、明るい空色のジャケットを合わせた男の子。女の子のほうはライム色のコートの首元に、エメラル…

ぜんさいのあじ

再婚して十年。合わない部分も多々ある中、これだけは合っていて良かったと思うのは、食の好みだ。中でも二人そろって好きなのは、タイ料理。パッタイなどの定番に加え、タイに駐在していたことのある夫は、地方の郷土料理にもくわしい。ちょうどその日も「…

インク壺の淵にて

こんにちは。 暑い日がつづきますが、いかがおすごしでしょうか? わたしはいま、インク壺の淵に佇んでいます。 「インク沼」というものの底知れぬ恐ろしさは「はまったら最後、ぬけだせない」。つねづねそう聞かされてきました。ですから去年、万年筆を手に…

変わっちまったな

朝。いつもは静かなローヌの岸辺に、レジャーシートのお花畑ができていた。こんな朝早くに、なにごとだろう? あわててメガネをかけてみると、シートの上には何やらごちゃごちゃ品物がならべてある。町内のヴィッド・グルニエ(vide-grenier)が、開かれてい…

サムシング・レッド

お祝いごとがあると、その本人が周りにケーキやお酒をふるまう。誕生日の本人が、職場や学校にケーキを持っていくなんておもしろいな。日本ではあまりみられない習慣に、さいしょは「へぇ」と思った。 でもあるとき、バースディ・ケーキを配っていたクラスメ…

ベトナムちまきと、マダム。

この季節になると、楽しみにしているたべものがある。 ベトナムの人たちが旧正月に食べる、ちまきだ。甘辛く煮た豚と卵の黄身を、もち米でくるんだものを、バナナの葉で包んで蒸してあるこのちまきは、一年のうちでもこの時期にしか売っていない。 じつは一…

沁みるレモンティー、あるいは暴力的なコーヒー。

起きたらまず、マグカップにレモンジンジャーティーを作り、朝ドラを観ながらゆっくり飲む。それから、朝ごはんにはコーヒー。読書には、日本茶か紅茶。夕食後にはまたコーヒー……と、お茶やコーヒーは日々の暮らしに欠かせない。ごくまれにコーヒーを豆から…

おじいさんと犬

冬は、油断大敵だ。 午後もおそくなってから散歩にでると、とちゅうで日が暮れてしまう。 寒いし、暗いし、日のあるうちに散歩はすませよう。そう肝に銘じているのに、あっと気づいたときにはもう遅い。太陽は、西にかたむいている。 いつもより遠くまで足を…

クリスマスカードを書く

午後、クリスマスカードを書く。 コーヒーをいれ、ペンを用意し、買っておいたカードをテーブルにひろげる。 先週、ブラシャール(ふだんは行きつけない高級文房具店)でみつけたカードは、もみの木が描かれたシンプルなものだ。 手刷りの絵柄は、撫でるとか…

鳥たちの東海道

ちょっと早めに起きてしまった朝。窓を開けると、わたり鳥のながいながい隊列が、明るみはじめた南の空を西から東へ、横切っていくところだった。よくみると、ひとつひとつの鳥の黒い影が連なっている。それはまるで墨をふくませた筆で、ゆるゆると線をひい…

失われしパンと猫

郵便物をとりにアパートのエントランス・ホールに降りてゆくと、掲示板の前で管理人のサントス氏が仁王立ちしているところだった。その視線の先にあるものは、みなくてもわかった。中央に猫の写真が印刷された貼り紙である。この貼り紙にはわたしも、数日前…

ウィーン風カツレツの、かくし味

「仔牛肉を二枚。シュニッツェル用に、薄くスライスしてください」 顔のまえに二本指を立ててお願いすると、肉屋のご主人が「うむ」とうなずき、仔牛肉の塊をケースから取りだす。 「2kgですね?」 大きな塊の半分ぐらいのところに、包丁を当ててみせるご主…

ホームシックにつける薬

コロナ禍の海外生活。ホームシックに効いた意外なコトの話。

借りぐらしの住人たち

この週末、引っぱり出して読んでいるのは、メアリー・ノートンの「床下の小人たち」だ。 人間から必要なモノを「借りて」、古いお屋敷の床下に暮らす小人の一家を描いた児童文学の名作。スタジオジブリの映画「借りぐらしのアリエッティ」の原作である。 き…