くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

サンジャン通り、二月の或る日

 二月の或る日、サンジャン通りを歩く。

 いつものアパートの庭に、今年もまたスノウドロップが咲いていた。ぽっちりと小さく、ひっそり咲く白い花。桜のような華やかさも、プリムローズやクロッカスの賑やかさもない。にもかかわらず、はっと目を惹かれてしまうのは、どうしてなのだろう?

 第一、スノウドロップという名前がいい。

 べつの名前だったら、こんなにも惹かれないかもしれないな。名前の由来は、十六世紀のドイツ。しずくの形をした真珠のイヤリング(Schneetropfe)から、そう呼ばれるようになったらしい。

 待雪草(まつゆきそう)という、和名もまたいいのだ。

 待つ、という漢字が、この花のいじらしさを表している。すべてが枯れ果て、生命なんてどこにもないようにみえた冬。落ち葉と雪に覆われた地面のしたで、この小さな花はしゅくしゅくと花開く準備をしていたのだ。誰に言われるでもなく誰に見せるでもなく、もくもくとちゃくちゃくと。

 サンジャン通りを、さらに歩く。

 辻にあるビストロでは、マッチョなウェイターが口笛を吹きながら、メニューの黒板を出しているところだった。本日の昼定食は「フィレ・ド・ペルシュ 」とのびのび大きな字で書かれていた。定番メニューはラザニア、ビフテキ……文字を目で追っただけなのに、お腹がぐぅっと鳴った。

 毎日のように通りがかっているのに、このビストロ に入るのはこれがはじめてだ。日当たりのよい窓ぎわのテーブルには、おばあちゃんが三人。といっても同じテーブルではなく、三つのテーブルにひとりずつ、窓を背に横ならびに座っていた。

 普段着に小さな手提げ、自宅のように寛ぐ雰囲気からさっするに、ご近所さんなのだろう。顔なじみらしく、ぽつりぽつりと隣どうしおしゃべりしたかと思えば、またひとり黙々とフォークを口に運んでいる。

 いいサインかも。

 わたしはステーク&フリッツを注文して、窓の外をながめた。

 フレンチブルの老犬に、じゃれつくラブラドールの子犬。スーパーの入り口にうずくまる、物乞いのおじいさん。九番のバスがきて、ラウンドアバウトをぐるっとまわっていく。横断歩道を、アパートの下階に住む顔見知りの若いお母さんが、乳母車を押して行った。

 いつもの光景なのに、ここから眺めるサンジャン通りは別人のようだ。ふだん自分がたっている劇場の舞台を、客席からみているような。宇宙から地球を、みているような。もう十年も住んでいる街なのに、そこに属しているような、いないような。

 おそろいの作業服をきた男性の四人組と、スーツ姿の男女にはさまれて、わたしはステーク&フリッツを食べた。さっきからおばあちゃんの一人が、目をつむったまま動かない。肩がかすかに上下しているので、とりあえず息はしているようだ。

「ごちそうさまでした」

 ビストロをでて、わたしはアパートへ帰る。二月の或る日、サンジャン通りを歩いて。