くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

王さまのフォンデュ:コーニェ村日記(1)

2月4日(土)晴れ 

トンネルを抜けると、モンブランの表示がモンテビアンコに変わる。フランスからイタリアに抜けたのだ。スイス、フランス、イタリアと二つも国境を越えてきたのに、コーニェまでは、二時間半の道のりだった。

コーニェ(Cogne)は、イタリア・アオスタ渓谷にたたずむ小さな村。グランパラディーソという、聞いただけでわくわくするような名前の国立公園のなかにある。あれはもう、かれこれ十年ほど前のことになる。イタリア人の友だちから「すごくいい」と教えてもらって以来、ずっと「行きたい場所リスト」に書きとめてあった場所なのだ。

ホテルの駐車場でスキーをおろしていると、通りがかりの素敵なおじさまに話しかけられた。ピンクのシャツにツィードジャケットを羽織り、すらりと長身。ゆるくウェーブがかったグレイヘアが額にかかる端正な顔だちは、まるでアラン・ドロンのよう。でもって「お茶でもいかがですか」などといいだすので、ドキドキしてしまう。さすが、イタリア!ナンパかとおもったら、ホテルの支配人だった。お茶、というのは、毎日夕方16時半からホテルのラウンジでサービスされるアフタヌーンティのことだった。

わたしは「人生をこじらせたアメリカ人女性が、イタリアで美味しいものを食べ、イタリア男に優しくされて生き返る」系映画が好きで、よく観る。このジャンルの映画では、主人公がイタリアに到着するや否や、ハンサムなイタリア男が登場し、主人公といい感じになるのがお約束なのだが、ジュリア・ロバーツやダイアン・レインのようにはいかないのが現実である。いや……がっかりするのは、早すぎる。イタリアの旅は、始まったばかりなのだ。わたしはスパでみつけた「若返りの湯」につかり、来たるべきドラマに備えることにした。

夕ごはんはホテルのダイニングで、地元の名物料理を教えてもらって食べた。アオスタ渓谷のリラという村のマスや、アオスタの黒トリュフや栗を使った料理、三種類の肉を詰めたラビオリなど。

なかでも前菜に頼んだ、王さまのフォンデュ「L'uovo di re Vittorio(ヴィットリオ王の卵)」が面白かった。ここでうっかり「ヴィットリオって誰?」ときいて恥をかいたのだが、ヴィットリオとは、イタリア王国の初代国王、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世のことである。

ようするに小さなチーズフォンデュの真ん中に、卵の黄身が落としてあるのをフォークでつぶして、チーズと混ぜて食べるだけのシンプルな料理なのだが、なんといっても名前がいい。料理って、名前も味わうものなのだ。

(次の日へ、つづく)

✒︎ 最近はじめた、旅の日記帖より。