くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

雪の朝のうずうず

 朝、起きてみると、外は一面の雪。アパートの庭も、川沿いの木々の枝も、向こう岸の建物の屋根も。街じゅうがふわりと真っ白な綿布団をかぶっていた。

 まだうす暗いアパートの広場には、だれの足跡もついていない。ふわり、ふわり。降るというよりは、宙を舞う雪をしばらく窓の外にながめていたのだけれど、だれよりも先に足跡をつけたい、といううずうずには抗えず、わたしたちは朝ごはんもそこそこに散歩にでた。

 アパートの入り口で、入ってきた年配のマダムと言葉を交わす。

「雪ですねぇ」

「降りましたねぇ」

 マダムは、銀ぶちのめがねの奥で目を細めた。コートについた雪をはらうマダムの前髪には、きらきらと粉砂糖のような雪がくっついていた。

 広場にでるとわたしたちはさっそく、ふかふかの雪のじゅうたんに足跡をつけた。不意に通りから入ってきたシェパード犬が、雪まみれになって駆けまわる。その後ろから、お父さんに手をひかれ小さな子が一歩一歩うれしそうに雪を踏みしめながら歩いてきた。すれ違いながら、お父さんのほうと目があって、わたしたちは微笑みを交わした。

 雪の日は、不思議だ。人々のあいだに奇妙な連帯感が生まれる。

 (雪ですねぇ)

 (降りましたねぇ)

 わたしたちは、道ゆく人たちとそんな言葉にならない言葉を口ではなく、目と目で交わしながら大通りを歩いた。子どもたちはもう登校してしまった後で、近くの小学校の校庭は空っぽだったが、教室の窓の向こうからは子どもたちが休み時間を待ちわびる、うずうずが伝わってくるようだった。

 わたしたちの脇を小型の除雪車がうなり声をあげながら、とおりすぎていく。まだ暗いうちからフル回転しているらしく、車道や大通りの歩道はもうおおかたきれいに除雪されていた。除雪車がつけていった幾何学模様を踏みしめながら、わたしはふと、フランスとスイスの国境の町に住むBさんが話していたことを思いだした。

 ジュネーヴは周りをぐるり、フランス領に囲まれている。車でちょっと行けば、すぐフランス領に入ってしまうこともあって、国境を超えて通勤・通学する人も多い。Bさんもその一人で、国境のあるフランス側の町に住みジュネーヴで働いている。ある雪の朝。雪深いフランス側の道を、雪と悪戦苦闘しながらやってきたBさんが、国境で目にしたのはすっかり除雪されたスイス側の道だった。

 かたや、ふりかえってフランス側をみれば、手つかずのまま雪に埋もれた道。

「こんなところにもお国柄がでるんですかねぇ」

 と、その写真をみせてくれたのだった。

 もっとも除雪は国というより町の担当なので、お国柄を比較するのに妥当ではないのかもしれないのだけれど、そこに写っていたのが「スイスは生真面目で、フランスは大らか」という、一般にいわれる国民性のイメージを裏切らない風景であったことはたしかだ。

 だからといって、スイス人が早起きで働き者でフランス人がそうじゃない、といいたいわけでは、もちろんない。それは、怠け者か働き者かという問題ではなく、何を優先するかという価値観の問題なのだ。

 いつだったかジュネーヴの空港に、ハイジャックされた航空機が緊急着陸したことがあった。ちなみにジュネーヴ空港は、建物の中でスイスとフランスに分かれていて、飛行機に乗り降りするときもスイス側とフランス側の出入り口が分かれてある。ことが起きたのは早朝、事態にいち早く反応し、スクランブル発進したのはフランス軍だった。ところがスイス軍ときたら「業務時間外」という理由で出動しなかったため、国内外で嘲笑されるはめになったのだ。

 まぁ、だからといって、スクランブル発進より、雪かきが大事なスイス人。除雪より、国防が大事なフランス人。などといってしまうのもまた、安直すぎるのかもしれないのだけれども。

 さて。

 そんなとりとめもない話しをしながらいつもの散歩道を歩き、わたしたちがもどってくると小学校の校庭には、うずうずが、いや、雪遊びする子どもたちの歓声がこだましていた。雪だるま作りの仲間にいれてもらいたい気もしないではなかったけれども、困惑する子どもたちの顔がみえるようで……。うずうずは子どもたちに任せることにして、わたしたちは大人しくわが家に退散することにしたのだった。