さばすたいる

スイス暮らしと旅のエッセイ

それでいいのだ、習いごと。

ピアノ、水泳、テニス、スキー、英語、フランス語、フラワーアレンジメント、いけばな、ネイル、料理、お菓子、パン、ヨガ……。習ったことのある、習いごとを数えていけば、両手があっても足りない。

このあいだ、さいきんハマっている習いごとの話をしていたら、

「でもわたしの場合、何やってもモノにならないんだよね」

と友人のKさんがいうので、びっくりした。

それでわたしが、

「え? モノにならなくちゃダメなの? 習いごとをしている人の、98%ぐらいはモノにならないで終わっていると思うけど(わたしも含めて)」

といったら、こんどはKさんがびっくりする番だった。

だってもし、みんながみんな習ったことをモノにしていたとしたら、世のなかピカソやフェデラーがごろごろしているはずじゃない? もっとも「モノにする」というのが、そのレベルを指すのだとしたら、の話だけれど。

百歩譲って、パン屋さんになったり、翻訳家になったり、その道の先生になったりするレベルだとしても、80%、いや90%の人はそこに達しないで終わっていると、わたしは思っている。

それで、いいのだ。

なぁんて、わたしなんかに言われたくないのは、Kさんだけじゃないだろう。だからあの日は、余計なことは言わずに別れたのだけど。今朝、たまたま開いたヘルマン・ヘッセの本でこんな詩をみつけたので、ここに載せておくことにする。

「満開の花」 

 

桃の木が満開だ

どの花も実がなるわけではない

青空と流れる雲の下で

花たちはやわらかにバラ色の泡と輝く。

 

桃の花のように想念がわいてくる

日ごとに幾百となく

咲くままにせよ 開くままにせよ

実りを問うな!

 

遊びも 童心も 過剰な花も

みんななくてはならぬものだ

さもないとこの世は小さすぎ

人生になんの楽しみもないだろう。

 

出典:「庭仕事の愉しみ」ヘルマン・ヘッセ(草思社)

ね? Kさん。

それで、いいのだ。

ヘッセに言われているような、気がしませんか? 

 

P.S.  書きそびれてしまったけれど、最近ハマっている習いごと。

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#「イラストでライフジャーナル」。スケッチブックに、その日印象的だったことをイラストにして描いていく、絵日記みたいなもの。一日の終わりに十五分。いいなと思ったもの、食べたモノ、印象的だったこと……を、イラストにしてコラージュしていく作業は、マインドフルネスにも通じ、気持ちを整える効果があるそうです。

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