くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

あお君と、みどりさん

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 駅にいく途中、信号まちをしていると、ふいに「色」が眼にとびこんできて眼に染みた。年若い男女の二人組が、わたしの前に立ち止まったのだ。

 群青色のパンツに、明るい空色のジャケットを合わせた男の子。女の子のほうはライム色のコートの首元に、エメラルド色のショールを巻いている。青に青、緑に緑。まるで申し合わせたように、同系色を重ねた二人のコーディネートは、みているだけで気持ちが明るくなるようだった。

 冬、この街はモノトーンにしずむ。石畳、アパルトマンの壁、葉のすっかり落ちた木々は、低くたれこめた雲と霧に包まれる。夏にはカラフルなおしゃれを楽しんでいた人々の装いからも、いっせいに色が消える。

 そういえばもう何日も、太陽と青空をみていない。眼に入るものといったら、白、黒、グレーばかり。そんな日が何日も続けば、気持ちも沈むものだということを知ったのは、この街で冬を越すようになってからだ。

 あお君と、みどりさん。

 そんなモノトーンの街並みに、二人はポタリと落とした絵の具のように鮮やかで、わたしの眼をうばった。

 覗きこんで確認するわけにはいかないけれど、ふと、みどりさんの瞳は緑かもしれない、と思う。じつに様々な髪、肌、瞳の色をもつヨーロッパの人たちは、自分の個性をひきたてる装いが何かをよく知っている。どんな色が自分を美しくみせるのか、わかっているのだ。瞳の色を装いにくり返す人も、少なくない。みどりさんが重ねた緑は、彼女の栗色の髪をじつによくひきたてていた。

 それとは反対に、あお君のほうは似合ってるとかもう全く関係なく、好きだから着ちゃったかんじ。それはそれでいいなぁとおもう。みているこちらまで楽しくなるおしゃれだ。

 信号が赤から青に変わる。

 歩きだしたあお君とみどりさんが吸い込まれて行った先は、美術学校。なるほどねぇ。一枚のいい絵をみたような気分で、わたしは駅へ向かった。