くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

スズメの棺

キィーキィー、と聞き覚えのある音がして空を見上げれば、ツバメが縦横無尽に飛び回っていた。満開だとおもっていたマロニエの花はあっというまに盛りがすぎて、街路樹はいっそう色濃くみどりの葉を繁らせている。軒先にかけられたジョウビタキの巣も、ヒナがかえってしばらくはチィチィにぎやかだったのだが、いつのまにか巣立ってしまって空っぽだ。

季節はとどまることなく巡っている。花が咲き散り、鳥が巣をかけ卵を産みヒナがかえる。生まれた命のエネルギーが満ちるこの時期はとくに、日々変化がめまぐるしい。

お昼に外の空気を入れようとベランダの窓を開けると、テーブルの向こう側に何か小さいものが落ちていた。近づいてよくみると、それはスズメだった。小鳥用のエサ入れの傍に、丸いお腹を空にむけ、仰向けにひっくり返ったまま動かない。しゃがんでさらに顔を近づけてみる。眼は閉じられ、脚は宙をつかみそこねたまま、そこだけ時間が止まってしまったようだった。

そういえば前に小鳥がベランダで死んでいたことがある。その時は窓にぶつかった跡があったのだけど、今回はそういう形跡もなく、怪我をしているような風でもない。気を失っているだけかもしれないと思い、水を一滴、二滴、くちばしのところに垂らしてみたが、何の反応もなかった。それでももしかしたら目を覚ますかもしれない、としばらくベランダに置いておくことにした。

ただし、そのままだとトンビにさらわれるかもしれない。市内の樹木に伝染病が流行っていて、川沿いの木が伐採されたせいか、去年までは近づいてこなかったトンビが、今年はぐるりと旋回してベランダの上空を飛んでいくのだ。わたしは紅茶の空き箱をもってきてスズメをそこに入れ、軒先にひっこめた。手にとるとスズメは思ったよりずっと軽くて、すっかり脱力してしまった体はふにゃりと柔らかかった。

それからわたしは、お昼ごはんを食べた。ベランダに他の鳥たちがやってきて、エサをついばむのをながめながら。まだ自分で種や実の殻を割って中身を食べることができない子スズメが、親鳥にぴったりくっついて羽をバタつかせ、口を大きく開けてエサをせがんでいた。

それをみてわたしはふと、棺の中のあのスズメもまだ生まれたばかりの子スズメだったかもしれない、と思う。あのスズメも羽毛の色がとても薄く、くちばしは黄色味を帯びていたから。

夕方。

太陽の光はベランダにさんさんと降り注ぎ、マロニエの木陰では鳥たちのさえずりが止むことなく続いていた。すっかり日が長くなった……と気づけばもう5月も終わりなのだ。

季節が巡り、命が巡る。好むと好まざるとに関わらず、そういう巡りのなかでわたしたちは生きている。

わたしは小手鞠をひと枝入れて、スズメの棺の蓋を閉めた。