朝、窓をあけると、空高くとんびがスーッと横切っていった。
くちばしに、木の枝をくわえ、巣作りにせいをだしていた。
朝の空気は、まだ冷たい。
あわてて窓をしめて、キッチンにもどると「マロニエの芽吹きが、観測された」とラジオが告げていた。
スイスに、春が来たのだ。
ローヌの川べりを歩けば、満開の山桜に黒歌鳥がうたい、スミレ、プリムローズ、クロッカスがいっせいに顔をだす。
毎年くりかえされる、ジュネーブの春のはじまりだ。
そんな、ちょっと浮き足だつような空気にみちた街で、今年にかぎって目につくもの。
それは、奇妙なあいさつをする人たちである。
胸のまえで手のひらを合わせて、軽くおじぎをする年配のマダム。
ヒジとヒジをつつきあって、さよならをいう学生たち。
じつはこの「ナマステ」と「ヒジタッチ」。
コロナウイルスの感染拡大を受けて、握手やハグのかわりに編みだされた、苦肉のあいさつのかたちなのだけれど、皆どこかぎこちないのがほほえましい。
ちょっと照れながら、この新しいあいさつを交わす人たちの姿をみると、わたしはほっとしてしまう。ともすればみえない不安に、殺伐とした気持ちになりそうなところを、
「とりあえずできることをしよう、不安なのはみんなおなじなのだから」
そう、はげましあっているように、かんじられるからだ。
あれもだめ、これもだめ、できないことが増えていくとき、どんな些細なことでも「自分にできることがある」というのは希望の星だ。
おどらされず、冷静に。
できることをしよう。
エールをおくるように、あいさつをかわしている。
ところで、その様子は日本の年老いた両親も、テレビで目にした模様。心配した父が、こういってよこした。
「ヨーロッパじゃふだん、あいさつがわりに、ディープキッスするんだろ? 濃厚接触は、危険だ。しばらくは、ナマステにしておきなさい」
真面目に心配している父を前に、どのように訂正していいものか。しばし言葉を探す娘なのだった。
*父の頭の中も、春爛漫♪