ちょっとだるいな、疲れたな、頭が重いな。
そんなとき体を温めると、とたんに楽になる。
緊張したり、気がはったり、落ち込んだりしたとき、気づくと手足が冷たくなっていることがある。そんなときもやっぱり、暖かい飲み物を飲んだり、お風呂に入ったりするととたんに気持ちが楽になる。
温めずにほうっておくと、体の場合は風邪をひいたり、体調をくずしたりするけれど、気持ちの場合、精神のバランスをくずしたり、冷たくなった手足のように心がカチコチに凍ってしまう。
そんなときのために「毛布」は手放せない。
「毛布」はときに、形を変えることもある。あるときは人だったり、またあるときは場所だったり。もしくは食べ物だったり、本だったり、音楽だったり、一枚の絵だったりすることもあるだろう。
冷えてきたなと思ったときに、いつでもくるまれる「毛布」をもっていること。それはなんて心強いことだろう、とわたしは思う。
真夏のビーチで、毛布を買った。
そのちいさな土産物屋は、ナザレの浜辺にひっそりとたっていた。
朝の散歩にでるとき、夜レストランに向かうとき。ポルトガルの陶器やカゴにまじって、素朴な織りの毛布がふわりと店先にかけられているのが目に入った。
赤や青のヘリンボーンのもの、ナチュラルなベージュのストライプ模様、鮮やかなオレンジと緑の幾何学柄。表情豊かな毛布たちに、つい手が伸びてしまう。触れてみると思ったとおり、しっとりやわらかい。タグにはメリノウール100%、職人の手作り、と記されていた。
文句なしに、すてきだ。
でも、太陽がギラギラと照りつけ海水浴客が行き交うビーチで、どうして毛布?
じーっと考えこんでいると、窓ごしにお店のマダムと目が合った。
マダムによると、山岳地方の羊からとれるウールから職人の手で作られた毛布は、陶器とならぶポルトガルの名産品らしい。鏡の前で、くるまってみる。みた目通りふわっと軽くて、暖かい。なんだかほっとして、幸せな気持ちになった。
かくしてわたしは数分後、毛布を抱えて真夏のビーチを、歩くことになったのだ。夫のあきれはてた視線を、痛いほどにかんじながら。
ところが毛布は、旅のあいだ大活躍することになるのである。
バカンスシーズンが終わるころを狙って出かけたからか、それとも大西洋の海というのはこんな風に冷たいものなのか?ちょっと足をつけるだけでひゃーっと叫びたくなるくらい、海の水は冷たい。
おまけに、サーファーたちの間では、冬のビッグウェーブで知られるナザレ、海風が強くずっと当たっていると、夏でも体が冷えてしまう。
わたしがせっせとビーチコーミングしている近くで、ざぶんざぶんと波に洗われては、ひとり歓声を上げている女の子がいたけれど…、どれだけ体温が高いのだろう?ホテルの部屋でベランダでプールサイドで、わたしはこの毛布にくるまってひとりホッとしていた。
色は、迷ったけれど、ちょっとくすんだ黄色をえらんだ。もともと黄色は好きな色でもあるのだけど、わたしの中ではポルトガルの色なのだ。
まず第一にスイスに来て、はじめてドライブに連れて行ってくれた女友だち。ものすごくワイルドな運転をする彼女はポルトガル人。ダークブロンドの巻き毛にあわせて、よくこっくりまろやかな黄色のセーターを着ていた。
アズレージョのタイルや建物の壁にも、独特の黄色が使われている。
ナザレの裏通りの、街灯の色もとろりと暖かい黄色。
ポルトガルのお菓子の80%に詰められているであろう、卵黄クリームの色もこの独特なこっくり深い黄色だ。
…とここまでくるとこじつけもいいところだけれど、そういえば、東京のアパートにかけていたカーテンもこの色で、せまかったけど帰宅するとホッできる、居心地のいい部屋だったことを思いだす。
卵の黄身色。
よく考えてみればこの「色」もまた、わたしにとっていざというとき「くるまれる毛布」のような存在なのかもしれない。
わたしの「ナザレの毛布」。あとで調べてみたら、綿100%バージョンもあるらしい。みてると全部ほしくなる。