くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

雲の上の、常連カフェ。スキーバカンス@ サース・アルマゲル

ことしのジュネーブの冬は、晴れの日が多くて暖かくて、なんだか冬じゃないみたいな冬だった。

霧がたちこめ、何週間もどんより曇り空に閉じ込められる、あのジュネーブの灰色の冬がやってこなかった。

だから、毎年二月、三月ともなると、太陽と青い空に恋い焦がれて、スキーバカンスを楽しみに待つことになるのだけど、ことしはそこまで切羽詰まった渇望感に苛まれずにすんだ。

それでも、山の上の空の青さは、青さがちがう。

一週間、この空の下で、山の空気を吸って、水を飲んで過ごすだけで、体じゅうの細胞がシャンっと生まれ変わるような気がする。

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*左上の青みがかったのが、サース・フェーの氷河。

ことし、スキーバカンスにでかけたのは、サース・アルマゲル。氷河スキーができ、競技スキーで有名なサース・フェーともつながる、スイスアルプスのスキーリゾートだ。

と、つまりは、サース・フェーの名前を出さねばならぬような、サース・フェーとはうってかわって地味なスキー場なのである。

ロシアのお金持ちをはじめ、ヨーロッパじゅうからバカンス客が訪れる、インターナショナルなサース・フェーに対し、サース・アルマゲルは体育の授業中の地元の小・中学生や、スイス人がメイン。

ゴンドラと地下鉄をなんども乗り継ぐ巨大スキーリゾートのサース・フェーに対し、おそろしくノロくて、長いリフトが数基あるのみの小さなスキー場だ。

もともと、毎年シーズンパスでワンシーズンに何度も滑りに来る常連が多いうえ、多くのバカンス客が週末着の週末発というスケジュールでやってくるので、二日もすれば顔見知りができる。

「やあ、やぁ、どうも」

などと、あいさつを交わすのどかな光景がそこここで繰り広げられる、サース・アルマゲルのゲレンデには、山頂にちいさなカフェが一軒しかない。

なんどもしつこいようだが、360度回転する大きなレストランがある華やかなサース・フェーとは大ちがいの、素朴なカフェである。

スタッフは、ご主人を含め三人しかいない。

初日。

わたしたちがはじめてカフェの扉を開けたとき、外が吹雪いていたこともあって、小さな店内は大混雑。ご主人は、チラリ、とこちらを見ると、団体のテーブルの隅っこに手早くスペースを作ってくれた。

団体さんのテーブルには、すでにラクレットや、チーズフォンデュ、ケーゼブロートに、チーズと干し肉のプレートなど、スイスの山ごはんの定番がならび、チーズの強烈な匂いを放っていた。

テーブルの中央にはワインボトルが、でんっと置かれていて、ワインのせいか日焼けなのか判別しがたい赤ら顔で、ご主人とおかみさんにグラスを渡しワインをすすめている男性は、どうやらここの常連客らしい。

とうとう、ご主人とおかみさんも、立ち働きながらご相伴にあずかりはじめると、宴もたけなわ。酔客のにぎやかなおしゃべりと、強烈なチーズの匂いにけおされて、端っこで小さく縮こまるしかない新参者のわたしたちなのだった。

カフェに通いはじめて、3日目。

なにしろ、一軒しかないので、好むと好まざるとこのカフェに通いつめるしかないのだけれど、

「あ、・・・。」

扉をあけると、ご主人の顔にうっすら笑顔が浮かんだ。三日目にしてついに、はじめてみる顔じゃないな、と認識してもらえたのがひそかにうれしかった。天気がいいから、テラス席が気持ちいいですよ、とアルプスが一望できるテラスにテーブルを用意してくれた。

日替わりのリンゴのケーキと、かわいいティーフォーワンのセットでサーブされる紅茶でひと休み。

目を閉じて、空の青と、太陽と、山の空気を、体じゅうで吸収すると、きゅうきゅうに絡まっていた頭の芯が、スルスルほどけて解放されていくようだった。

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カフェに通いはじめて、5日目。

「あー、お腹いっぱい!」

チーズと干し肉のプレートをたいらげたわたしたちが、イスの背にもたれ消化に忙しい胃袋にエールを送っていると、空になったお皿と引き換えに、おもむろに差し出されたのは、細長いスレート板。

板の上には、ピンク色の液体で満たされたリキュールグラスが2つならんでいる。

重い食事の後に飲むと消化を助けてくれる、フルーツ味のシュナップス(食後酒)だった。注文してないけれど?ととまどうわたしたちに、ご主人は、無言で微笑むのみ。わたしたちがそれを飲み干すのを、じっと待っているのだった。

クィッ。

みための可愛らしさに反して、シュナップスはアルコール度40度超えの強いお酒である。一気に流しこんだはいいけれど、炎を一気飲みしたような刺激がはらわたにしみる。ヒィーとか、クァーとか、叫びたいのを必死でやせ我慢し、コツンっと空になったグラスを、黒い石板にもどす。

それをみたご主人は満足げにうなずいて、そしてニッコリ笑った。

合格。

もちろん、口に出して言われたわけではない。でも事実上このご主人の笑顔が合格証書だった。その日から、シュナップスは常連のしるしとして、わたしたちにサービスされるようになった。

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はじめのうちは、ちょっと人見知りするような素っ気なさが、ちょっと冷たい印象を与えがちなのだけど、時間をかけてひとたびうちとけると、とことん友情にあつく信頼できる。

こういう典型的なスイス人の距離感のつめかた。

わたしはきらいじゃない。

あたらしいお店を発掘するのも楽しいけど、時間をかけて行きつけのお店ができるのもまた楽しいものであることを、ひさしぶりに思いださせてくれた「雲の上カフェ」なのだった。

それにしても。

距離にして200キロ、標高差2000メートルのかなたのアルプスの山の上。車で3時間、ノロくて長いリフトを二本乗り継がないとたどり着けない場所に、行きつけのカフェがあるなんて、、、ちょっとぜいたくだと思うのだけど、どうだろう?