誕生日の朝。
メールボックスをのぞくと、ムラーノ島からバースデーメッセージがとどいていた。
今朝、手帳をひらいたら、カレンダーにあなたの誕生日をみつけたから。
久しぶりだけど、元気にしていますか?
ムラーノの空の下から、ハッピーバースデー!
エイミー
とくべつ凝った文章も、華やかなイラストも、メロディ付きのバースディカードみたいなしかけもない、ごくごくかんたんな電子メールだった。
にもかかわらずというか、だからこそというべきか?
わたしはムラーノのあのちょっともの哀しさのまじった空の色と、しめった海からの風をおもいだして、あたたかい気持ちになった。
エイミーさんは、ムラーノ島に住むガラス作家だ。
ムラーノの彼女のアトリエを訪ね、美しい作品のかずかずを見せてもらってから、かれこれ二年がたつ。
ちょうど誕生日が近かったわたしは、ガラスのビーズをつなぎあわせたネックレスを、夫からの誕生日プレゼントということにして手に入れた。
ひんやり冷たいガラスのビーズには、エイミーさんの美しいものをつくる眼差しとムラーノの空気が閉じこめられているようで、いまでも身につけるたび豊かなきもちになる。
わたしはうれしくなって、さっそく返事を書いた。
ムラーノの空気を、とどけてくれてありがとう!
誕生日の朝に、とってもあたたかいきもちになりました。
書きながら、その朝のエイミーさんの様子が目にうかんだ。
早朝のアトリエ。
エイミーさんは、コーヒーを片手に手帳をひろげ、一日の予定を確認する。
ふと、カレンダーに書きこまれた、風変わりな外国人の名前が目にはいり、何年か前にとつぜん訪ねてきた日本人がいたな、と思いだす。
そういえばあの時も、誕生日だとかいってたけれど、元気かしら?
その自然にうかんだきもちを、そのままさらりと一筆書きにして、送信する。
時間にしたら30秒ほどのことだっただろう。
ちゅうちょなく、よどみなく、さらりと運ばれる一連の動作が、目にうかぶようだった。
もちろん、これはわたしの勝手な想像にすぎないから、じっさいのところはわからないわけだけれど、エイミーさんのメッセージは、そんなふうにかんじさせる軽やかさをはらんでいた。
その軽さがいいな、とわたしはおもった。
先週の日曜日のことだった。
おそい朝ごはんをたべているとピンポン、と玄関のチャイムを鳴らす音がする。
ドアをあけてみると、ちいさな女の子がひとり、わたしを見上げて立っていた。
「こんにちわ、マダム」
女の子が大人顔負けにあいさつするので、いっしゅんうろたえたけれど、
「こんにちわ、マドモワゼル」
わたしもがんばってあいさつを返した。
「ここに、小さい子どもはいますか?」
そういって、女の子はちょっと首をかしげた。
うしろ手に手を組んで、つきだしたセーターのおなかのところには猫のアップリケがしてあって、女の子とおなじ角度で首をかしげている。
「えーっと、小さい子どもは、いないけれど、、」
質問の主旨をはかりかね、わたしもつられて首をかしげてしまう。
女の子は、まばたきもしないで、わたしの言葉が終わるのをじっと待っている。
その様子をみかねた夫が、かわりに答えた。
「おじさんとこの子どもは、もうみんな大きくなっちゃって、今はよその国に住んでいるから。ごめんね、小さい子どもはここにはいないんだよ」
聞けば、先週ひっこしてきたばかりのこの女の子は、友だちをつくろうと、アパートじゅうを一軒一軒たずねてまわっているのだという。
友だちがほしかったら、ドアをノックすればいい。
あそぼう、っていうだけでいい。
女の子のシンプルな考え方とフットワークの軽さに、なににつけ腰が重くなった大人のわたしは、おもわず目をみはってしまう。
女の子に友だちがみつかるといいな。
朝ごはんのつづきにもどり、下の階からドアのベルが鳴らされるのをうっすらと耳にしながらわたしはおもった。
その日の午後のこと。
わたしは、ひきだしの奥からでてきた古い友人からのハガキに、なんと八年ぶりに返事を書いてみたのだった。
さらりと、よどみなく、軽やかに。