グッゲンハイム美術館の裏手にある、静かな住宅街に借りたアパートには、最上階にちいさな屋根裏風の小部屋がついている。
居心地のよさそうなリビングルームに、ダイニングキッチン、メインベッドルームだけで私たち夫婦二人にはじゅうぶん。
この屋根裏部屋は、あっても使わないよね、と思っていたのだけど。
いちど、ソファベッドに横になってみたら、なんだか落ち着いてしまって、午後の昼寝のじかんをここで過ごすのが日課になってしまった。
小さいころに、外国の本の中にでてきた「屋根裏」というひびきに、あこがれていたというのもあるし、そのこじんまりとした空間は、むかし東京で住んでいたワンルームのアパートみたいで、なつかしかった。
昼寝からめざめ、ふと気配をかんじて窓を開けると、外はいつのまにか雨になっていた。
ちゃぷん、ちゃぷん。
さぁさぁ。
ぴちょん、ぴちょん。
テラコッタの屋根、レンガの壁、石畳、運河、海からの風。
旅に出ると、五感が研ぎ澄まされるのはどうしてだろう?
おなじ雨なのに、ヴェネツィアの雨は、音も、匂いも、湿度も、色までちがうような気がした。
むかいのアパートに目をやると、ちいさな窓がひとつ開いていて、赤ワイン色のランプシェードの灯りが、ぼんやり夕闇に浮かんでいた。
女のひとが、台所にたって、料理をしているのが見える。
何をつくっているんだろう?
おもわず見入ってしまった。
ふいに、ふり向いたそのひとと、目があう。
私に気づくとそのひとは、まだしばらく降り止むようすのない雨空を見上げ、ちょっと肩をすくめてみせた。
ランプと同じ赤ワイン色のエプロンに、花柄のブラウス。栗色の髪が肩ではね、首には真珠の首かざり。
エスプレッソ色の肌に、真珠は鈍く、やさしく、まろやかな光を放っていた。
おなじだ。
ヴァポレットで隣り合った、買い物かごをさげたおばあさん。
スーパーのレジ係のおばさん。
魚市場の若い女の子。
街でみかけたのと、おなじ光の連なりが、ここにもまたひとつ。
大切にしまいこんで、お出かけの時にだけつける真珠の光とはちがう。きっと毎日、おなじものをつけ続けているのだろう。もしくは、イタリアの真珠がもともとこういう色なのかもしれないけれど、ちょっとくすんだ、黄みがかった真珠色なのだ。
毎日身につけられて、肌になじんで、もはやその人の一部と化したような、海の都の女たちの真珠の首かざり。
日々、太陽の光を吸収し、海からの風のなか呼吸し、女たちの体温で温められた真珠たちは、なんだか幸せそうで、都会の箱入り真珠にはない、おおらかな美しさが宿っていて、わたしの目をうばった。
こどもが海でみつけた真珠を、そのまま糸でつないだような、素朴なあたたかみは、ダークな肌と、きりりとシャープな男っぽい顔立ちに、ひとさじ甘味をそえていて、これ以上の組み合わせはないくらい、互いを引き立てあっていた。
それはまるで、エスプレッソ・マッキアートの、エスプレッソとミルクの関係だ。
エスプレッソに、ほんのすこしだけ泡立てたミルクを垂らすこの飲み方は、「染み(マッキアート)」ほどしかない少量のミルクが、濃くて、苦いエスプレッソにほんのり甘味をそえる。
98%ビター、2%スイート。
真珠が甘くなりすぎない、ビターな容貌をもつ彼女たちを、ちょっとうらやましく思ったのだった。
さて、裏窓の真珠夫人は、といえば。。
料理も佳境にはいってきたもよう。
鍋から湯気があがり、なんだかいい匂いが漂ってきた。
きょうはどんな料理が食卓にのぼるのだろう?