くららの手帖

ローヌの岸辺暮らし、ときどき旅

シェパーズ・パイ教室、いつまでも学びたい大人たち。

かつて働いていたころ、ご褒美ランチの筆頭だった、パブランチ。

値段が高いか、カロリーが高いか。

ご褒美ランチのリストには、そのどちらかの理由で、ふだんなかなか足を運べないレストランの名前がならんでいた。

パブランチは、もちろん、「カロリー」のほうだ。

フィッシュ&チップス、ソーセージ&マッシュ、ローストビーフにハンバーガー。

ダイエットの敵がてんこ盛りの英国パブのパブランチは、食べ終わるといつも口のまわりがギトギトになった。 

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ジュネーブにきてからは、しばしば夫のおともでパブに行く。

おめあては「シェパーズ・パイ」だ。

羊のひき肉と野菜をソースで煮込んだものに、マッシュポテトをかぶせたキャセロールをオーブンで焼いたシェパーズ・パイは、イギリスを代表する料理らしい。

らしい、、と懐疑的な言い方をしたのには、ちょっと理由がある。

代表的な英国料理というわりに、シェパーズ・パイをおいているパブをさがすのは、至難の技なのだ。

どれくらいむずかしいかというと、東京のパブにもなかったし、いくつか訪ね歩いてみたジュネーブ近郊のパブにもない。

本場ならばとおもったロンドンですら、ホテルのコンシェルジュが悪戦苦闘して、やっと一軒みつけてくれた、というぐらいむずかしい。

いったいどこに行けば、ありつけるのだろう?

迷えるわたしたちの前に、救世主があらわれたのは、先週末のことだった。

イギリス人ときけば、シェパーズ・パイへの情熱をぶつけつづけてきた、夫の執念が実をむすび、湖水地方から遊びにくるイギリス人のマーガレットさんが、「シェパーズ・パイ」教室をやってくれることになったのだ。

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さっそくマーガレットさんからおくられてきた材料表を片手に、買い出しにでかけたわたしたち。羊のひき肉、ニンジン、たまねぎ、にんにく、、、順調に材料をかごに入れていったのだけれど、

「Button Mushroom(ボタンマッシュルーム)?」

聞き覚えのない材料名に、不意に手が止まってしまう。スマホをとりだし、辞書でしらべてみる。何のことはなく、それは普通のマッシュルームのことだった。

そもそも「マッシュルーム」はキノコの総称だ。

日本でマッシュルームと呼んでいるあのキノコのことを言いたければ、英語では「ボタンマッシュルーム」といわなければならないらしい。

「へぇ、なるほど。知らなかった〜」

そういわれてよくみると、形はまさにボタンのようで、妙に感心してしまう。

ささいなことだけれど、目からウロコ。

こういう新しい発見って、大人になればなるほど減っていくものだから、ちょっとうれしい。

しかし、上には上がいるもので。。

「セロリ、これで足りる?」

ふりむくと夫の手には、ポロネギが握られていた。

直後に夫の目から、かなり大きなウロコが落下したことは、いうまでもない。

はじめてのおつかいより、よっぽど危なっかしい、大人たちのおつかいなのだった。 

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ところで「ジュネーブでみつけるの大変だから」と、わざわざマーガレットさんが、イギリスから持参してくれたのは、ウスターソース。

ウスターソースといえば、日本なら一家に一本、おなじみの調味料だ。

ジュネーブでは大きなスーパーに行かねば買えないウスターソースも、日本では置いていないスーパーを探すほうがむずかしい。

でも、それだけ身近なものでありながら「ウスター」が何のことか知っている人って、いったいどれくらいいるのだろう?

ちなみにわたしは、あまり深く考えたこともなく、薄口ソースのウス(薄)ターだとおもいこんでいたクチだ。

日本的解釈でいうとどうやらこの思いこみは、当たらずとも遠からず、らしいのだけれど、そもそもの起源をマーガレットさんから教わって、わたしはこの日二回目の「目からウロコ」を体験することになる。

じつはWorcester(ウスター)というのは、イギリスの地名。

ウスターソース発祥の町の名前なのだ。

「ウスターソースなくして、シェパーズパイにあらず!」

そうマーガレットさんが力説するとおり、シェパーズパイの味つけの肝は、なんといってもこのウスターソースだ。

なめてみると日本のものより酸っぱくて苦くて甘みがない。

このウスターソースと赤ワイン、香味野菜で煮込むことでラム肉の臭みがとれて、シェパーズパイ独特の風味がかもしだされる。

やがて、こうばしい匂いとともに、その独特の風味がただよいはじめたオーブンをあけてみると、まず目に飛びこんできたのは、こんがり黄金色にバターの焼き目がついたマッシュポテト。

マッシュポテトの下ではラム肉がぐつぐつ音をたて、ウスターソースと赤ワインと香味野菜の三重奏を奏でているようだった。

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焼きあがったシェパーズパイを口に運び、赤ワインのグラスをかたむけながら、わたしは考えていた。

大人になれば知らないことなどなくなるのだ、そう、信じて疑わなかったこどものころ。

だけど実際はかなりいい大人になったいまもなお、こんなふうに世の中はまだまだ知らないことで満ちているわたし。

こどものころのわたしが、いまのわたしをみたら、いったいどうおもうのだろう?

「大人のくせに、情けないなぁ」

心底がっかりするのか?

「大人になっても、愉快そうだなぁ」

それでよし、としてくれるのか?

いつまでも、未完成なままでいたい。

欠けてる部分があって、それを埋めるために、いつまでも学びたい。

というのは、ファッションデザイナーの島田順子さんの言葉だ。

いやいやいや、それとこれとじゃ、レベルがまったくちがう話である、、というのはじゅうじゅう承知の上で、あえて言わせていただきたい。

こんな心意気で、年を重ねていけたら、どんなに愉快なことだろう?

そんなことをあらためておもう、日曜の昼下がり。

ウスターソースと、セロリと、ボタンマッシュルーム。

新たな学びのハーモニーを、舌の上で味わいながら。